七つとせ、なぜに戻るや皆の衆、戻るは何に乗るべきや、草の根土くれかきわけて …

 町に戻ってきた。まだ日があるので軽く腹ごしらえをしてから、昨日と同じ元噴水の前で店を開くことにする。
 ファイーナはどこかに飛んで行った。いつものことだが…。
 さっきのことが、なんとなく、気になる。
 …今まであんなことなかったのに…。
 崩れかけた広場の一角にある茶店にはいる。昔は立派だったのだろうが…今は面影を残すのみだ。茶と一緒に軽い食事も取れるから、茶店というより軽食堂と呼んだ方がいいかも知れない。
 彼女は昨日もここに来ている。他に食堂らしい処も見当たらなかったし。
「こんちは」
「あら…いらっしゃい」
 応対してくれた女性はドリスと同じくらいの年頃だろうか。
「薬草売りさん、今日は何にする?」
 ルートセラーを知らないらしい。薬草を売り歩いてます、と言ったらこんな呼び名がついてしまった。
「ええと、昨日と同じのを。あれおいしかったから」

「はい。お待たせ」
 さっきの女性が料理を運んできた。
 料理は小麦の食感が楽しめそうなパンと、鶏の煮物。ついつい香草の使い方に目が行ってしまうのは職業病か。
「うわ、おいしそう…いただきまあす」
 煮物を一口ふくむ。
「あれ? 昨日はフーシャン胡椒使ってたのに…今日はライモン草? しかも…隠し味はカタモモ?」
「ふふ。よく分かったわね。フーシャン胡椒が切れちゃってね、どう?」
「おいしいおいしい。よくこんな組み合わせ思いつくわ。さすがね」

 腹が減っていたせいもあって、皿の上はすぐに空になってしまった。
 後片付けと一緒に茶を出してくれる。
「昨日も思ったんだけど…」
「え?」
「もしかして一人でやってるの?」
「そう。それほどお客さんが多いってわけでもないしね。だから料理もわたしが作ってるのよ」
 たしかに昼飯時だと言うのに、客は他に老夫婦が一組だけ。ひなたぼっこを楽しむように茶をすすっている。
「そうなんだ…ずっと一人なの?」
「うーん、これでも結婚してたのよ」
「旦那さんは?」
「死んじゃった。事故でね。…五年くらいになるかな」
「あ…ごめんなさい。変なこと聞いちゃって」
 ドリスはあわてて茶を飲む。何だろう、今まで飲んだことのない安らかな味だ。
「いいのよ。もう過ぎたことだから…」

 そろそろ出ようかな、と腰を上げる。ふと見ると…ぶ厚い木の板に彫られた花の絵が飾ってある。形が形なのでつい目が行ってしまう。
「スプーヤ草…?」
「あら。さすが薬草売りさんね。あれを知ってるなんて」
「まあ、ね。でもさ、なんで飾ってあるの?」
「この地方くらいかな?実はね…」
 内緒話でもするように耳に口を近づける。
「別名があるの。ダレオモイ…『誰想い』かな。誰かの密やかな想いが込められてる、ってね。結構好きな人いるのよ」

 八つとせ、優しいあの人見えるかな、あの家あの庭見えるかな、あの道あの店見えるかな …

 今日の売上はそこそこ。相変わらず老人ばかりだった。
 もうじきに女の子と約束した時間になる。早めに店じまいして待つ。すでに薄暗くなっている。
 ファイーナはいない。何回か呼んでも来なかった。
「おっかしいなあ…」
 ついでにあの女の子も来ない。
 辺りを見回していると…さっきの女性が歩いていた。あっちも店じまいらしい。そう言えば店の明りも消えている。
「あ…ねえねえ」
 のぼりをぶんぶん振り回すと気付いてくれた。
「あれ? どうしたの? こんなところで」
 きょとん、とした顔でドリスの顔を見る。もう人通りはない。
「お客さん待ってるんだけど…こんなおっきなリボンつけた女の子、知らない?」
「リボン…?」
 知らないのだろうか…?結構目立つと思うのだが。
「んー…ちょっと来てくれない?これのことかな…」
 ドリスの手を取る。
「どういうこと…?」
「あ、わたしヒルダ。あなたは?」
「ん…ドリス」

「ねえドリス。わたしはこの町で生まれて育ったし、茶店やってるから町の人は全部知ってるわ。もちろん子供のことも」
 背負子を背負ったままドリスはヒルダについて歩く。かすかな道はどんどん町中からはずれていく。すでにさっきの広場は見えなくなってしまった。
「じゃあ、あの子のことも…?」
 ヒルダは一瞬、とまどってから軽く首を横に振る。
「知らない、と言えば嘘になるわ」
「えーと…」
「こっち。あんまりこんな時間に来る場所じゃないけどね」

 九つとせ、この羽黒いはどこなりや、行くも帰るも不可なりや、いずれに進むも不可なりや …

 墓場…?
 最初ドリスはそう思った。しかしそれにしては墓石や雰囲気が古すぎる。誰かゆかりのある人がいるとは思えない。
 下草だらけの小道。伸び放題の木々。ところどころ浮かび上がって見えるのは墓石だろう。
「ここは昔の墓場なの。今は使ってないけど」
 納得がいく。…たしかにこんな時間に来たい場所ではない。
 と、どこからか、かあかあかあ…と鳴き声が聞こえてきた。
「ファイーナ?」
 ドリスにとっては聞き間違うことのない鳴き声だ。声のする方に急いでみる。もう日は落ちているが、星明りだけでも十分に見える。倒れたり、風雨に晒された墓石が手入れされることなく並んでいる。
 二人はその間を、走った。

「カラス…カラスは…死者を運ぶ鳥だって、おばあちゃんが言ってたわ…」
 墓石の一つからファイーナが、ひょい、と跳びおりる。ヒルダには目もくれない。
「…どうしたの?」
 嘴をドリスの足元にすりつけてくる。普段はめったにこんな甘えるような仕草はしない。
 ファイーナが乗っていた墓石には、何かぼろ布のようなものが巻いてある。
「これは…」
「昔この町では小さな女の子が死ぬと…大きなリボンで飾って葬ったのよ。墓石にも巻くんだけど…」
 すでに朽ち果ててぼろぼろだ。よく見ると丁寧な刺繍もしてある。綺麗なリボンだったようだ。
 その墓石に寄り添うように、一回り大きな墓石が建っている。こちらにはリボンはない。
 何か文字が彫ってある…。
「ちょっと読めないかな…これは。擦り減っちゃってる…」
「ヒルダ・アデレードより我が娘ニーナ・アデレードへ。我が密やかな想いを込めて」
 地の底から響くような声はドリスのすぐ後ろ、ヒルダから聞こえた。彼女は…うつむいている。
「ヒルダ?」
「ごめんね、ニーナ…一人ぼっちにしちゃって…」
 一瞬、気が遠くなったような気がした。
 …ありがとう…。
 ぐるりと暗転していく視界の隅に見えたのは…あの子?

 がああああ!がああ!

 ファイーナの声で我に返った。
「…ヒルダ…?」
 崩れ去った廃墟の見捨てられた墓地。一旦中断された虫の声が、遅れを取り戻そうと頑張っている。
 誰もいない。ファイーナが片目で見上げているだけだ。
 ごしごしと目をこすって見回してみる。あたりに人が住んでいる気配はまったくない。はるか昔に消えてしまった都市の残骸しかない。
 ヒルダもいない。
 元来た方を見ても…星明りの下で見えるのはこんもりとした潅木の茂みだけ。歩いてきたはずの細い道どころか…獣道すら見当たらない。
 草原の中の小さな低木の林。埋もれてしまったはるか昔の想い。
 ドリスはかすかにうなずいた。静かに立ち上がると、腰につけている袋からあのスプーヤ草を取り出した。
 花は六つある。
 三つを苔むしてしまっている大きな墓石に。残り三つを小さな墓石に供えた。崩れそうなリボンが揺れた。
「…ありがとうございます〜。これからもごひいきに」
 手の中にはあの古びた銅貨をしっかりと握っている。
「やっと…会えたがやね…」
 風が吹き抜ける。心地よい涼しさと柔らかな温もりを伝えてくれた。
 ファイーナが上げた、遠吠えのような鳴き声が耳に残った。

 十とせ、通り過ぎたは何者や、なぜに寄らんやこの町に、なぜに集わんこの町に …

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