TheRootSeller004『新人教育』
その日、ドリスは困っていた。
サウザムランドの森林地帯。そこにホイッパ草という珍しい草が生えているという情報を耳にしたのが始まりだった。
薬草としては役に立たないが、非常に珍しいので好事家には高く売れる。
しかし…それを採ってくるには彼女一人では難しい。
実はこのホイッパ草、人の声に反応する植物として知られている。高い声、特に若い女性の声に反応して、踊るように葉をくねらせるのだが…以前試した時にドリスでは反応が鈍かった。
葉が踊れば場所を特定しやすくなる。色んな草や木に埋もれている場所ではこれほど有効な手段もない。
まさかファイーナに声を出してもらうわけにもいかない。人の声を真似るカラスもいるが、なぜかファイーナは「かあ」としか鳴いてくれないからだ。
誰か相棒が必要だ。
ルートセラーは一人で行動するのが決まりなわけではない。グループで薬草を売り歩く連中もいる。店を構えて都会で営業している人もいるとか。
彼女の場合は一人が気楽で好きだからファイーナと歩いているだけだ。
「しかたないか…薬協行ってみるかね」
『薬協』とは『薬草販売促進協同組合』のこと。それなりの町ならたいてい支部がある。大きさは掘っ立て小屋からちょっとした市場クラスまで様々だ。
そう言えば今月は銀貨一枚を払っていない。払い込みも兼ねてポクンの町の薬協に寄ってみるとしよう。ポクンの町はホイッパ草が生えている地帯に一番近い町だ。
『薬草アリマス・薬草販売促進協同組合ポクン支部』
こんな旗を出している店があった。どうやらポクンの薬協は宿屋の一角を借りているらしい。看板には大きく『宿屋』と書いてある。
中にはいってみると…地元の人らしいおばさんが何人か茶をすすっている。ルートセラーはいないようだ。
…宿屋だけじゃないのかな？
とりあえずドリスは古ぼけたカウンターに向かった。
「お名前は？」
この、いかにも人の良さそうなおじいさん…おじさんが係員のようだ。もっとも、他にそれらしい人物も見えないのでポクン支部長なのかも知れない。
「ドリス・アンフェルンです。これがタブレット」
小さな皮のケースを差し出す。薬協にしかない鍵でないと開けることはできない。中には小さな金属板がはいっている。
おじさんは丁寧に鍵を開けて中の金属板を確認する。
「はいはい…ドリス・アンフェルン…はい。今月がまだだね。今払うかね？」
「はい」
ドリスは銀貨一枚を支払った。
払えない場合は「いいえ」と言えばいいだけのこと。無理に納める必要もないし、取り立てられることもない。この金属板…タブレットに係員が記入してくれるから、金ができたらどこかの薬協で払えばいい。
どこの薬協へ行ってもこれがあればいつ払ったのか分かる仕組みになっている。
同時にこのタブレットはルートセラーの証ともなる。名前も刻んであるし、薬協でしか発行していないからだ。
このおじさんは小さな宿屋兼酒場兼食堂の亭主だが、ポクン支部を委託で開いているとか。片手間に小遣い稼ぎはできるし、宿泊客も増えるのでこういう例は意外に多い。ただし、よほど大きな町でない限り薬協は一つの町に一つしか許可されないから、競争率は高い。
宿屋も兼ねているのなら、なおさら誰かヒマそうなルートセラーを知っているかも知れない。
「ちょっと聞きたいんですけど…手の空いてるルートセラーって誰かいませんか？」
「そうだねえ…」
奥からいくつか帳簿を持ってきた。眼鏡をかけて調べ始める。
「できたら若い子がいいんですけど」
「若い子…ははあ、あんたもホイッパ草狙いかね？」
「はあ…」
「何人か若い女の子がいたんだけどねえ…みんな行っちまったよ」
名前が記されているらしい、宿帳をぱらぱらとめくっている。
「…そうだ、この子なら空いてるけどね」
レイン・コホサリ、と記されているページを見せる。
「へー…年は…十二！？」
いくらなんでも若すぎでは…。
「コホサリ家って知らないかね？有名な貿易商でね。何艘も商船を持ってる」
おじさんは窓の向こうを指した。何か塔のような建物が見える。
「ほら、あそこの大きなお屋敷だ」
ポクンの町は海からは離れている。ここに自宅があるのだろう。
「聞いたことはあるような…でも十二歳ねえ…」
「そこのご令嬢だよ」
「…ま、大体予想はついてたけど」
ルートセラーになるのに資格や条件は必要ない。年齢も関係ない。薬協に行って、承諾書にサインすればいい。すぐにタブレットを発行してくれる。
それでもなり手が少ないのは膨大な知識が必要とされるからだ。何しろ薬協はルートセラーとして認定はしてくれるが、その後のことまでは面倒を見てくれない。自分のことは自分で面倒見ろ、ということだ。
中途半端な品揃えや知識だと客も来ない。タブレットは持ってるけど営業はしていない…そういう『幽霊ルートセラー』も結構いるらしい。
「よりによって新人とはね…しかも十二歳…」
だからなりたてのルートセラーは誰かベテランにつくことが多い。薬協で待っていればルートセラーは必ず来る。銀貨一枚を払いに来る他、情報が集まりやすいからだ。
しばらく待って引き合わされたレイン・コホサリは考えていた以上にお金持ちだった。
実家が。
当人の見た目は至って普通の十二歳。大きめのバッグと真新しい白い旗。ドリスのように行商する気がなければ背負子はいらない。
綺麗なさらさらの真っ直ぐな金髪。よく手入れをしているようだ。着ている服も金がかかっている。さすがに動きやすい格好をしてはいるが…。
…こんなんで仕入れとか行けるのかしら。
「あなたがレイン？ あたしドリス。よろしくね」
差し出された手をおずおずと握り返す。恥ずかしいのか顔も上げずに返事を口の中で転がしている。
ドリスはうなずく。こんなものだろう。
「まあ、頼むよ。あの森ならたいして問題ないだろうし…あんたも結構長そうだし」
「新人と組むのは初めてだけどね。やってみますわ」
というわけで二人は陽射しが照りこむ森の中へホイッパ草を探しに行ったわけだが…。
「ねえ、レイン。ホイッパ草は知ってる？」
ファイーナはいない。森の中に入る時はいつも以上にあちこち遊びまわるのでドリスも呼ばないことの方が多い。
「…はい」
バッグから抱えるほど大きな本を取り出した。持ち歩く気だろうか。
四隅が擦り切れて中身が見えている。相当使い込んでいるようだ。ページの端が手垢で真っ黒になっているくらいだから、何回も、何百回も読んでいるのは確かだ。
まだ森の入り口とは言え、木々の傘は幾重にも重なってきている。豊かな黒土に細い獣道。地元の山菜採りや猟師が立ち入るための道だろうか。土の感覚が足の裏に柔らかい。
レインは立ったままで分厚い本を慣れた手つきでめくっていく。木々の間を縫う光はちょうどいい明るさだ。
さっきまでのおどおどした顔色が一変している。
きらきらと目を輝かせて、わずかに笑みすら浮かべて本に見入っている。
…へー…やっぱりけっこう好きなんだ。薬草。
ここまで熱心に薬草図鑑を見る子はなかなかいない。
のぞきこんでみるとやや色あせた図版が載っている。
「…葉は楕円形で…湿度があまり高くなくて…」
「他にも開けたところにもないし、かと言って他の植物が密集してるとこにもないの。高さは鉢植えにできるくらいだからそれほど大きくはならないわ」
レインは初めてドリスの顔を見上げた。驚きと不安が混じっている。
「え…そうなんですか…？」
「前に一度見たことがあるからね。見たら分かると思うわ。さ、行こうか」
ところでホイッパ草は高い声に反応する植物だ。
したがってレインには声を出しておいてもらった方がいいのだが…。
なぜかこの子はドリスの後ろにくっついて歩くだけでなかなか声を出してくれない。
ドリスが話し掛けても小さな声で「…はい」とか「…いいえ」くらいしかしゃべらない。
…困ったわ、こりゃ。
「ちょっと休憩しようか」
そう言ったのはレインの息遣いが荒くなってきたからだった。朝にポクンを発ってもう昼前になっている。適当なところでこんこんと湧き出している泉を見つけた。柔らかい草が生えていてちょうどいい。
澄んだきれいな水だが…ドリスは腰の皮袋から何かの粉を取り出して、コッヘルに注いだ泉の水に散らせる。
「…ん、大丈夫ね」
「…それ、何ですか？」
「シロカの枝を粉末にしたものよ。中毒になるような物がはいってたら色が変わるわ。…本当は煮沸した方がいいんだけど…これを入れたら大体大丈夫だから」
軽くかき混ぜると汗をぬぐっているレインに渡す。
「……」
「飲んでみて？」
そっとコッヘルに口をつける。
「あ…なんか、すーっとする…」
「美味しいでしょ？疲れもけっこう取れるのよ」
手持ちの食料はポクンで仕入れてきた干し肉。これをしゃぶっているだけでもだいぶ違う。
レインはぼそぼそと干し肉を齧っている。
「ねえ。なんでルートセラーになろうと思ったの？」
穏やかな天気だ。木漏れ日がくすぐったい。
「え…あの、薬草が好きで…」
ドリスの背負子にはいっている薬草や木の実を興味深そうに眺めている。こうやって見て慣れるのもいいかな、とドリスはあえてしたいようにさせていた。
たしかに草のことは好きなようだが…。
「へえ…その『薬草大綱』はあなたの？」
さっきレインが見ていた大きな本だ。少し古いがかなり専門的なことまで載っているので、行商をしないルートセラーにとっては必携の書だ。ドリスのように行商する連中はあまりにも大きくて重いので持ち歩かない。
「…いえ、あの、はい、そうです…」
「ずいぶん使い込んでるわね。これからは本だけじゃなくて実地で色んな薬草を見ていかないと」
「はい…」
またうつむいてしまった。
どうにも話の接ぎ穂がない。
