TheRootSeller013『目的意識』
目の前を幾筋もの鈍いきらめきが通り過ぎていく。
「ふう…」
しゃがみこんでいる地面をかすかに撫でてみると…じとっと濡れた感触が指先にまとわりつく。両手を広げたほどもある大きくて分厚い葉っぱを何枚も重ねた即席の天幕の下。地面に土…と呼べるほどの土は見えない。コケやら落ち葉やらがうずたかく積もっている。年月が経てば土へと還っていくのだろう。
「…いつまで降るつもりかしら…」
ドリスは今日何度目になるか分からないため息をついた。
サウザムランドの中央部から南部にかけては広大な森林地帯が広がっている。他の地方では見ることのできない動物や植物も多い。一年を通して湿度が高く、暖かい。四季があるわけではなく、交互に訪れるのは雨季と乾季。雨がよく降る季節とそうでもない季節しかない。他とは気候からして少し違う。さらに人間も違う。独特の風習や習慣を持っている。
他の地方のように労働が貴い、という考えが通用しない場合もある。…何本も悠然と流れる濁った大河は魚介類の宝庫だ。それに飽きたら森へ入って果物や動物をとればいい。それだけで十二分に生きていける。数十年前まで物々交換が当たり前だった…というほどの地域だ。報酬としてお金をもらう、という発想はつい最近定着してきた考え方だ。
…なんであくせく畑を耕したりしないといかんの？ すぐそこに食い物があんのに？
ドリスは今回、依頼を受けてこの森に来ていた。依頼人はサウザムランドでもこういった熱帯系の森ではない町の人。依頼内容はとある植物の根を探して来て欲しい、というもの。特に難しいわけでもない。この地方ならどこの森に入ってもその依頼はこなせるだろう。
が…時期が悪い。
今はちょうど雨季の真っ最中なのだ。受けてしまったドリスもドリスだが、依頼する方もする方…とも言える。
「まあ…仕方ないかなあ…」
しゃがみこんで両腕を両方の膝頭に乗せて、大きく前に伸ばしたまま…また、ため息。
頭の上を威勢良くぱんぱんと雨粒が叩いている。直接当ったら結構痛そうだ。
彼女は寝袋は常に背負子の中に持っているが、天幕は持ち歩かない。邪魔になるから…が大きな理由。あまりにひどく天候が崩れた場合はどこかの民家の軒先を借りたり、こうやって身を隠す場所をこしらえたりすることもある。雨は行商をするルートセラーにとっては大きな障害の一つだ。霧雨程度だったら気にもしないが、ここまで土砂降りだと出歩くわけにもいかない。水分が商品に影響をおよぼしてしまうことだってあり得る。
「あーあ…」
こういう時、カラスのファイーナはどこか自分の好きな場所に飛んで行ってしまうことの方が多い。しかし今回は逃げそこなったのか、ドリスと一緒に小さな洞窟のような即席天幕の下にいる。…急に土砂降りの雨が降りだしてしまったからだろうか。ふくれっつらにでもなっているような気もする。
ぶー、とも、かー、ともつかないような声を出しながらひょいひょい、と歩き回っている。
そんな動きを何気なく目で追うドリス。
くいっと首を傾げて、立ち止まるファイーナ。かすかに胸を反らして…何かを見つけたようだ。今度は頭ごと湿った地面に近づけて…くちばしをきらめかせてぱっと横に振る。
ぼろぼろに朽ちかけた落ち葉のかけらが小さく、舞うように散った。さらに何回か同じような切れ端が忙しそうに飛び散る。
ドリスは何を見つけたのかな…と見ている。何かお目当てのモノがあるのだろう。ミミズを掘る時も同じような素早い動きをすることを彼女はよく知っている。ぱっぱっと土になりかけの湿った葉っぱが宙を小さく舞う。
ほんの数秒後、現れたのは橙色をした何かだった。
あんまり地面の下から出てくるようなモノには見えない。どちらかと言えば不自然な、奇っ怪な印象すら受ける橙色をした、差し渡しが人差し指ほどの小皿のような物体。ファイーナがくわえて軽く振り回す。…触ってみたらぼてっと奇妙に柔らかいモノ…なのかも知れない。しかしファイーナは…当てが外れた…と落胆した様子でぽい、とそれを外へ下手投げで放り出してしまう。不機嫌そうに、ぐわぁ、と鳴いてくちばしをその辺の土で軽く拭う。また歩き回り始める。今度こそはおいしいミミズでも探し出すつもりなのだろう。
放り出されたソレは動き出す気配もなく雨に晒されたまま。掘り出された…ソレ。しかしドリスはそれが何か知っている。
「…キムジクサビラか…」
キノコの一種で、こういった湿気の多い地面の下、腐った落ち葉などに浅く埋もれている。サウザムランドの固有種というわけでもない。他の地方でも長雨が続いた後に見つかることもある。が…見た目が見た目なのでごくまれに酒場で「森でこんなモノを見たんだが…」と気味悪そうに相談されることもある。しかし毒などはない。食べても問題ないが、焼こうが煮ようが生だろうがほとんど無味無臭。ついでに薬効があったりするわけでもない。…何の役にも立たない。ルートセラーにとっては。
だからドリスも拾いに行く気にもならない。雨も激しいし。
そのキムジクサビラは雨の中でも鮮やかな橙色が衰えない。
…本当に何の役にも立たないんだけどなあ。
毒々しいまでにキレイな橙色のため、染料を研究しているとある学者が染物に使えないか…と実験したとかそんな話を聞いたことはある。しかしどうやっても使えるようなものではなかったらしい。最近はそういう話も聞かないし…それに関係しているような依頼も聞かない。
ファイーナはドリスの足元まで来て土くれを掘り返している。
「…ふう」
また…ため息。
