とりあえずということでその医者、ヨナタンのところまで行くことになった二人…いやもう一人。エマも一緒にくっついてきている。
 メリッサは当然、今まで何度もヨナタンのところに交渉に行っている。しかしエマを連れていくのは今回が初めてで、本当は留守番を頼むつもりだったらしい。しかしドリスが「エマも来る?」と何気なく聞いてみたら、力強く首を縦に振ったので連れて行くことになった。
 しょぼつく霧雨はいつの間にか消えてしまっている。しかし陽が出ているわけでもない。空に薄くへばりついた雲を通ってこぼれる光はまだまだ弱い。もしかしたらもう一雨、今度はもっと強い雨が降るのではないか。そんな、ちょっと嫌な予感すら覚えてしまう昼下がり。
 ドリスとメリッサの後について歩くエマは、その小さな背中に似合う小さなかばんを背負っている。メリッサは自分に必要な道具類は自分の黒い手提げかばんに入れている。しかし、入りきらないものやすぐには使わない道具などは彼女が背負うことになっている。ただ…なぜかファイーナはそのかばんの上がお気に入りで、今もうずくまるように乗っかっている。むしろエマを気に入っているのかも知れない。普段なら町中に入ってしまうとすぐに面白いものでも探しに飛んで行ってしまうのだが、なぜかこの町でだけはいつもエマのそばにいる。

 医院があるのは『アシュフォド』という通りだ。メリッサの事務所がある『メモリオ』とはちょうど大通りをはさんだ町の反対側の通りになる。こちらもやはり過去には大金持ち達が住んでいたのだが、どちらかと言うと貴族など位の高い人物が住んでいたとか。だから成金趣味丸出しの建物は少なく、洗練された印象を受ける建物の方が多い。
 広い庭があるのも特徴の一つだろう。建物が隣接しないからゆとりのある造りになる。
 目指す医院はヨナタンの代になってからさらに使いやすいように改築するとのこと。自宅が近くにあるので改築中の診療はそちらでやって、少しでも時間が空けばこっちへ来る。医者である自分でなければできない部分も多いからだ。
 この建物もやはり在郷の貴族の別荘だったとか。そのため部屋数も少なくゆったりとして落ち着いた造りになっているし、庭も広い。しかしここでもやはり時間の流れは情け容赦ない。庭の芝生はかろうじて生き残ってはいるが、手入れが悪いせいで伸びすぎでみっともないし、庭木もほとんどが切り倒されてしまっているのでかなり殺風景だ。庭だけ見たら枯れた立ち木の残る荒地のようにも見える。
 ただし、その辺も含めての改修作業の真っ最中のため、何人もの屈強な男たちが忙しそうに医院を出入りしている。部外者は邪魔者以外何物でもなく、即座につまみ出されてしまっても不思議はないほどに慌しい現場の雰囲気。
「こちらへどうぞ」
 しかし先代から手伝いをしているという老人は何も聞かずに三人と一羽を通してくれた。メリッサとは知り合いだから、ということもある。

 貧相な優男、を想像していたドリスだったが。しかし相手は結構がっちりとした体格でしかもうっすらと無精ひげまで生やしていたりする。この辺ではそうでもないが、ノスクルバーグなどの都会になるとヒゲは嫌がられることが多い。二年で去ってしまったからそういう風習とは無縁のまま、だったのかも知れない。
 医者が普通に着ることを期待されている白い衣もどこかよれている印象を受ける。まめに洗濯はしているようで、見た目ほど不潔な印象は受けない。しかし…そろそろ換え時ではないか、とは思ってしまう。同様に室内もそれほど整っているとは思えない。先代が亡くなって、彼が卒業して帰郷するまでそれほど時間がかかったわけではない。それでも、わずかな期間でもあるじがいなくなってしまうと、やはりさびれてしまうものなのだろうか。すっかりツヤを失ってしまった床。傾いで見えるボロ机。器具を収めてある棚もくたびれて見える。窓にはカーテンすらなく照明も少ない。
「…申し訳ないが、ルートセラーは必要ないのです」
 まだまだ改築中のせいもあるのだろう。しかし…
「そう言われてもですねえ…」
 メリッサが思い切り眉間にしわを寄せて見せる。
「…とりあえず、座って話はできませんか? 時間はあるのでしょう…?」
「そちらの方は…?」
 ちら、とドリスを見る。
「私の古い友人で、やはりルートセラーです。少し意見を聞いてもらいたいと思いまして」
「なるほど」
 別に気を悪くした様子もない。さっきの老人を呼んで、一言、二言。そして椅子を三つ運んできた。全部自分一人で運んできてしまうあたり、なんだか頭脳労働よりも肉体労働の方が向いていそうだ。
「…とにかく必要ない、と言ったら必要ないんですよ。ギルマンさんにも言ったのですが」

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