1:資格を得るのこと
ボクの名前はマルティン・シュトーレン。こないだ学校を卒業したばかり。
ゲルンタージュで曽祖父くらいの頃から代々宿屋をやっている家の息子。でも、宿屋と言っても外からの客なんかほとんど来ないから近所の人たちのたまり場と化している。酒場も同時にやってるから、その辺の常連客も多い。もう、どちらかと言えば『宿屋』ではなくて『酒場』と呼んだ方がいいのかも知れないし…ま、別にどちらでもいいような…そんな気もしている。本当はこういうこと言ったらいけないのかも知れないのだけれど。
ボクには兄さんが二人もいるから特に何かやらないといけない、というわけではないんだ。酒場…宿屋の責任者は一番上のハインツ兄がきっちりとこなしているし、次兄のヨハン兄は独立してしまって、今は表通りに小さな雑貨店を構えている。もう二人とも結婚までしていて、ハインツ兄にはエトヴァルトという息子…つまりは、ボクにとって甥にあたる…までいる。だから実家の宿屋に従業員として残ってもいいわけだし、ヨハン兄の手伝いをしてもいい。それとも…何かやってみようか？ ゲルンタージュからは出たこともないボクだけど。
ここは職なんかもあまりない町で、同世代の友達なんかみんなよそへ行ってしまったくらい。残ったのはボクともう一人くらいかな。そいつはロバート・ギルマンさんの商店で働けることになったんだ。…いや、実家がそこだから仕方ない、というか何と言うか。跡継ぎみたいなもんだろうか。一人っ子だし。もちろん店主のロバートさんと奥さんのマリーさんのことはボクもよく知っているし、どんな仕事をしているかもよく知っている。だからそいつもうまくやっていけるんじゃないか…とは思うのだけれど。
そして…もう一軒。幼年学校の頃からよく行って知っている店がある。『メモリオ』通りのヘンな塔のある店。
「…マルティン。何やってるの」
ああ。メリッサ姉さんだ。…いや別に血が繋がってるわけじゃない…と言うより繋がってなくて良かった。これが身内とかだったら冗談じゃない、勘弁してくれ、てなとこなんだけど…。
「マルティン。誰のために色々資料引っくり返してると思ってるの？ さ、こっちはあなたが見て頂戴。まったく、エマまで手伝ってるんだからいくらか払って欲しいくらいだわ」
目の前に積み上げられる本、雑誌、書き付け…さらに横からエマが黙って何冊かのパンフレットをよこして来た。あ、しゃべれないんだ、この子。でもボクなんかよりよっぽどしっかりしてる。計算も早いし頭の回転も速い。時々ボクより年上なんじゃないのか、とか思うことも…
「マ・ル・ティ・ン？」
はい。
「これはあなたが頼んできたことでしょ？ 私たちはただのお手伝い。違うかしら？」
違いません。
「だったらもっと真剣にやって頂戴な。そうでないと薬協の支部なんかそうそう立ち上げられないわよ」
そうだ。ボクは…ゲルンタージュに薬協の支部を作ろう、と思ったんだ。
「薬草販売促進協同組合」略して「薬協」と言えば知らない人はいないと思う。全世界で活躍（暗躍？）してるルートセラー達が全員所属してる組織だ。ルートセラーには月に一回、どこでもいいから薬協支部に銀貨一枚を収める義務がある。薬協はそれを元手に彼らをサポートする。新規に登録するのもそうだし、情報交換の場を提供したり、特別な会合を開いたり。オークションなんかやってる支部もあるそうだ。
…今、ボクは月に一回払われる銀貨を元手に…と言ったけど…これは大きな間違いだったんだ。実際はそんな程度じゃ運営なんかして行けないもんなんだそうだ…だから薬協支部は何か別の仕事の場とくっついてる方が多いんだって。
でもそんな薬協支部はボクが住んでるゲルンタージュには、ない。昔々はあったんじゃないか、てな話だったんだけどその頃のことを知ってる人なんかまずいない。何せゲルンタージュの動脈とも言えるゲマ街道が交通の要衝だった頃って…いつだろ、何百年とか相当前のことになっちゃうんだ。今はさびれ果ててるこの町が昔々は人や馬やムカスであふれかえっていたなんて…ちょっと考えられない。だって、よそから人が来ることもめったにない。来るとすれば行商人とか姉さんの知り合いのルートセラーとか、ヒマとお金を持て余したマニアックな旅人とか。それ以外は顔を合わせるのはいつも同じ人。なんでうちは宿屋なんて始めたんだ？ とかそう思うほどなのに。
…当時は逆に宿屋や酒場が儲かっていた…のかも知れない。今とは違って旅人もたくさんいたんだろうし。
そんな町でなんで薬協の支部を作ろうと思ったのか、って？
たいしたことじゃないんだ。うん。ボクは前々からルートセラーに興味があって、姉さんの店にもよく出入りしていた。本当のところ、姉さんはあんまり歓迎していなかったんじゃないか、とは思う。あんまり騒がしいの好きな方じゃないし、子供が好きというわけでもないし…。でもエマが来る前は簡単な手伝いなんかボクがやってたりしてて…その時は何も言ってなかったっけか。…ま、実際のところはよく分からない。
昔はもっといたのだろうけど、ゲルンタージュでルートセラー、と言えば今はメリッサ姉さんしかいない。その姉さんが月に一回、わざわざ隣町のハイドシュタインまで出かけていくのを不思議に思っていたものだった。仕入れにしては軽装すぎるし、ムカスのキャロルも連れていかない。
…あ。ムカス、と言っても分からないかな。ゲルンタージュ周辺ではよく見る四つ足の家畜で…肩の高さはボクの胸ほどもなくて。大人は無理だけど子供なら乗れるくらいだけど乗る人なんてほとんどいなくて、荷台をつけて荷物を運ぶのに使うことが多いんだけど…。なんて説明したらいいかな…長い耳をしてて…毛も長くて…うさぎ？とは少し違う。そもそもうさぎはこんなに大きくないし。でも丸い背中や耳はうさぎに似てるし。それでもひょこひょこした歩き方はロバに似てる。
頭や背中がうさぎに似てるロバ…てなとこかな。実際に見てもらった方がほんとは早いと思う。
姉さんの店には運搬用にそのムカスが一頭いる。名前はキャロルと言って大分前に手に入れたものだ。ムカスは馬や牛に比べたら寿命が長い方だとは思うけど、キャロルは相当年寄りになるんじゃないかな。ボクが店に出入りするようになった頃に来たはずだから、もう十何年もここにいることになる。
![[1-2]へ](../../bnext.png "[1-2]へ")
