TheRootSeller 外伝 5 「あの山で ‐はるかなる思い‐」[3-7]

　下ろした背嚢をゆっくりと探る。
「こちらを」
　あの本である。

　ややくたびれた外観になってしまっている。一度包みを開けてしまっているし、いくら包み直したと言ってもあんな道行きだったのだ。背嚢の中で他の物とぶつかったりスレたりしてしまっただろう。その汚れ方はまるでここまでのレナートの道中そのものとも言えるだろう。
　老人は丁寧にその包みを開き、中の本を両手で取り出す。…本そのものに傷がついたりしていないのを見て、レナートはホッとした。
　しかしよく見てみるとかなり古い本のようだ…。
　老眼鏡をかけ直した老人は、少し真剣な顔になる。
「ほう…」
「僕はノギヤの町から来たルートセラーです。懇意にして頂いている問屋さんの大旦那さんからの依頼で、これをお届けに参りました」
「ノギヤ…ああ、彼か…」
　包みには依頼人である大旦那の友達という老医師の名前が記されてある。

　一度畳んでしまった包み紙を、静かに開いてその名前を確認する。
「マイクか…」
　そして改めて分厚い本を眺める。そしてその表紙をめくる。
「『ハイペ・クライドンによる医学実践概論』これはわたしたちが最初に目にした医学書だったのですよ…」

「当時わたしとマイクはシポルニアス王国にいましてな」
「シポルニアス…セントレランドですか」
「はい。首都のノスクルバーグです」
　古くから続く王国だ、ということはレナートも知っている。最近整備が進んでいる東西・南北大街道の要衝ともなっている。これまでも街道はいくつもあったのだが、それらを統合したり改定したりしているのだ。それはシポルニアス王国が先頭に立って進めている事業だとか。
「そこにカムンヤ医師養成学校という学校がありましてな」

「医師を養成する学校ですか？」
「ご存じない？」
「ええ…失礼ながら」
「まあ、無理もありません。わたしたちが一期生だったのです。機材も資料も何もない。あるのはただ医師を増やしたい、それも優秀な医師を、というこころざしだけ。だから学費も安くてなんとか通うことができました」

「今もそれほど豊かだ、とは聞いていません。まだまだ無名の学校ですしね。それでも教科書くらいはあるでしょう…何しろわたしたちの頃はまともな教科書もなかったのです。ようやく手に入った一冊がこれなのです」
　本を、そっと差し出す。
「最後のページを見てごらんなさい」
　重たい裏表紙をそっと開く。
「ジョン・ハリス　マイク・ミリオン」
　二人の名前が書き込まれてある。すでにインクは変色してしまって、名前の一部もかすれてしまっている。でも読むことはできる。
「しるし、みたいなものですよ…」

「でも、なぜこの本をあなたに？　何しろ…」
　かなりの額を前払いしてまで、と言いかけてそれは口の中にしまってしまう。そういうことは言わない方がいいだろう、と。
「ああ、それは…多分形見分けでしょうな」
　変わらず穏やかな笑みを共に答える。さらり、と。

「同い年のわたしに送っても意味はないかも知れませんが。それでも彼なりの思いを伝えたかったのでしょう…」

　何をどう伝えていいのか、レナートには分からない。すでに人生をあきらめているわけではない。それはこの見事な庭を見ていれば分かる。
　花を育てるには来年や再来年を見据える必要がある。次に花が咲くときは次の年になる。それを見越して手入れをしていかないと、今年の花もきちんとは咲かない。
「……」
「おや。もう茶がありませんな。どれ、お替わりを用意しましょう。お客さんなど久しぶりなのですよ、どうかゆっくりして行ってください」