「ガト」
「なんだい？」
「ここ、やっぱり気持ちいい」
「そりゃそうだ、なんたっておいらのお気に入りの場所なんだから」
猫は自分をガト・カッツェと名乗った。ちなみに本名ではない、とも付け加えた。
本当はあまり話をしたくはなかった。誰とも。だから、すぐに起き上がって歩き出した。でもいつまでもいつまでもついて来る。未来のことを迷子か何かかと思ったのかも知れない。
それがこの丘の上でのことだった。今日みたいに海が穏やかだったような記憶がある。あれから数えるほどしかこんな海を見たことはない。大抵は波も高く白と青が混じり合いながら荒れている。でも空はすっきりと晴れていて、その対比は妙に心に残る。視界の上半分と下半分が全く別物のような、奇妙な感覚。
でも未来は…そんなものかな、と思っただけだった。そういう場所だって世界のどこかにはあるんだろう、と。
それから…なぜだろう、未来はこのガトと一緒に行動するようになっていた。気がつくとそばにいる。付きまとわれているようだが、うるさいとは思わなかった。特に猫が嫌いなわけでもましてや好きなわけでもないから、あまり構わない。
…すごくリアルな夢なんだ。これは。
自分が今、夢を見ているという実感はある。でも夢にしてはリアル過ぎる。
柔らかい草にごうごうと逆巻く波頭。手にはそのふわりとした感触が残るし、腹の奥底にまで響き渡る波の悲鳴は遠慮もなく耳へと流れ込む。時には顔に細かな細かなしぶきがかかることすらある。それらは全て目の前にある物体が現実に存在していることを示している。
そして二本足で立って歩く猫。もちろん見たことはもちろん聞いたこともない。でもやはり目の前でべらべらしゃべりながら存在している。そういうのは本の中だけのお話だろう。冒険物とかファンタジーとか。
…そういう内容なのかな。
マクラの下に入れた本が関係しているのかな、とか思うこともある。でもよくは分からない。内容はおろか、題名すらも読めても理解できない。挿絵も何もない古い本なのだから。
「おーい、ここにいたか。探したぞ」
ほっ、ほっ、ほ、と息を切らせながら丘の上へ来る一つの人影。身長は未来と同じくらい。でも目を引くのは背中に担いでいる身長より長くてごつい大剣だろう。両手で構えるそれは未来ごときでは到底扱える代物ではない。…いや、触ったこともないのだが。
彼の名はハリエル。未来が「こっち」に来て二番目に会った人間。もちろん一番目はガトになるのだが、あいにくと彼は猫である。
「…なんだまた寝転がってんのかよ」
「……」
「ガト…おめえは猫だからまだいいけどよ」
「へ。おいらとミライは似た者同士なんだ、ほっといてくんな」
「そういうわけにもいかねえ。ディクシィが待ってんだ。行くぞ」
「どこへ？」
横になったまま。目だけハリエルのくるくるとよく動き回る目に合わせてみる。
「町外れのな、隠者の森だよ。依頼だよ、依頼。最近ちっと稼いでなかったからな…あー、腕が鳴るぜい！」
背中の大剣を抜き放ち…タテ、ヨコ、と十文字に何度も何度も振り抜いて見せる。その度に空気を切り裂く重々しい音がする。彼は我流で剣技を学んだ、と前に言っていた。剣なんてのはタテとヨコに振れればそれでいいんだ、とも。
「ハリエルよお…お前さんはちょいと、落ち着いた方がいいんじゃねえのかい？ ほんとにせわしないねえ」
やれやれ、と言いたげに立ち上がりながら肩？をぐるぐると回すガト。
「まるでせっかちの国からせっかちを広めに来たみたいだよ、まったく」
「ああ？ なんだそりゃ？ いいんだよ俺のことはよ。それよりミライ、おめえだ。さ、行くぞ。隠者の森だ。前に行ったことがあるだろ？」
左手に大剣をぶら下げ、右手を差し出してくる…。
「来いよ。きっと楽しいぜえ？」
ちょっと迷ったのだけど。横になったままその手に触れてみる。
すると、ぐい、と引っ張りあげられてしまう。そしてその手を握られたまま、丘を下ることになる。
「行くぞ！ ほら！ 急げ！」
