長方形の食卓に椅子が四つ。父の隣に未来が座り、兄弟が並んで座るのだが、どう座っても未来のところだけヘコんだようになってしまう。父と兄はもちろん、弟の明夫も未来より背が高いからだ。
追い越されたのはいつだったか。覚えていないが、三つの大きな背に囲まれるこの生活に、違和感はもうない。
兄の先守は高校三年生。未来と同じ高校に通っている。そろそろ受験勉強とかするのかな…と思っていたら二年生の終わりくらいからすでに始めていたらしい。未来はもちろん、父・羽佐人も気づいてなかった。見た目は物言いもぶっきらぼうで行動もややがさつに見えるが、実は几帳面な性格で、見ているところはきちんと見ている。未来は実は彼女とかすでにいるんじゃないのか…と思っているが、それらしき人物を見たこともない。あくまでカンである。
弟の明夫は中学二年生。兄とは対照的にのんびりした性格をしている。同年代でも背が高い方になるのだろうけど、横方向にもちょっと肥えているのでそうは見えないかも知れない。しかしこうした外見とは裏腹にバスケットボール部に所属していてレギュラーだったりする。そのため彼だけ部活で忙しい時は全ての家事から免除される、という特権を持っている。
「兄ちゃん、おかわり」
「お前、ほんとよく食うな」
手際よくどんぶり（普通の茶碗では足りないのだ）にご飯をよそう兄。それを期待に満ち満ちた目で待つ弟。これも朝によくある光景の一つ。
未来も食べる時は食べる。しかし朝からどんぶり飯二杯が当たり前の弟と張り合う気は、さすがにない（ちなみにパン食の時は一人で一斤を軽く平らげる）。
そんな朝食が終わると朝食当番は後片付け、洗濯係は洗濯乾燥機から洗濯物を取り出して仕舞う作業がある。掃除当番は帰ってきてから掃除機がけ、となっている。…そう、これだと一人余る。今回は父の羽佐人が「当番なし」ということになっている。だから今朝はこうやってじっくりと新聞を最後まで読むことができるのだ。
この当番は男三人は持ち回りになっていて、今は三日で交代。時々話し合って一週間ごと、とか、毎日交代、とかそういうことになる時もある。だから、朝食を誰が作るのか読めないことも多い。そういうのも悪くはないかな…と未来は思ったりもする。毎日毎日決まりきった朝食というも悪くはないのだけど、そういうのもアリなのかも…と。
なお。夕食当番は未来を含めて四人、別のローテーションが組んである。だから朝食と夕食を作る人間が違う、ということもある。今日は朝食は先守だった。夕食は明夫。だが近々バスケの試合があるので未来の出番が増えそうではある。
これらの取り決めは試行錯誤を繰り返した末、こういう風に決まっていった。最初の頃は父の羽佐人が全てやっていたのだ。そのうち先守が手伝うようになり…未来も手伝うようになった。明夫が手伝うようになったのが最も遅かったのは言うまでもない。
今日はゆったりと朝を過ごした父・羽佐人が一番最初に家を出る。商社に勤めている彼は通勤ラッシュを嫌って早めの電車に乗るからだ。次に明夫。ほぼ毎朝練習があるから。「うおおおお」とか叫びながら自転車をものすごい勢いで漕いでいく。そして先守が出て…最後に未来が家を出る。兄と同じ行き先、つまり同じ高校で電車通学。父が乗るのとは方向が違うためラッシュに巻き込まれることはほとんどない。結果としては二人とも同じ電車に乗ることにはなるのだが、お互いしゃべることもない。一緒に家を出るのはさすがに恥ずかしいのでいつの間にか時間をずらすようになってしまったのだ。
だから未来はいつも家を出る時にカギをかけることになる。
「あ…」
…カギ、部屋に忘れてきちゃった…。
学校へ行く準備は前日寝る前に済ませてあるから、普段なら自分の部屋に朝戻ることはない。制服に着替えてから洗濯や朝食を済ませるから、カバンは玄関の脇へ置いてしまう。これは先守や明夫もそうしていて、出る時にそこから皆自分のカバンを持って行くのだ。
カーテンが少し開いている。それを少しだけ直すと部屋の中はちょっと薄暗くなってしまう。でも電気をつけるまでもない。カギは他のいくつかのカギ（自転車とか）と一緒に小さな金属の輪っかにくくりつけてある。鍵束、というにはややさびしいだろうか。こういう束は家族が皆、それぞれに持っている。家を出る時は未来が最後だが、帰ってくる時は誰が最初になるか分からないからだ。
カギを手にして、一安心。…ふと床を見ると、あの本が落ちている。マクラの下から滑り降りたんだな、と今になって気づく。
「…なんて…題名なんだろ…？」
日本語ではない。アルファベットのような文字が並んでいる。やっぱり…読めない。分からない…？
「あ。遅刻しちゃう…」
本はとりあえず机の上に置いて、ばたばたと駆け出す未来だった。
電車で三つ先の駅まで行く。ホームの反対側は逆方向へ行く電車で、ラッシュの真っ最中。これが夕方ともなれば帰宅ラッシュとなって今度はこちらのホームが混み合うわけだが…未来はその頃にはすでに家に着いている。だからそれほどひどいラッシュを経験したことはない。
…一度だけ、規制だか修復だかで臨時に本数が減ったことがあり…未来の乗った電車がそれこそラッシュ状態になったことがある。あれはもうイヤだ、あんなのにはもう二度と乗りたくない…と思ったものだった。
駅三つだから空いていても座らない。前から二両目の一番前のドアの、手すり近く。停車してから開くドアは決まっているのであえて乗ってすぐではなく奥のドアへ行く。こちらならドアが開かないからいきなり誰かが目の前に現れることはない。…と思っていたのだが。
「ちーっす、みきー？ はよーん」
やや痩せていて目がちょっとキツそうな、未来より背が高く同じ制服を着た少女が真っ直ぐ歩いてくるのである。
