殺風景な廊下。未来はもちろん警察署など入ったことはない。こういう場所ではこういう風に余計な装飾などないのが普通だ…ということまでは分からない（学校もこんな感じではあるのだが）。でも、それでもたくさんの人たちが働いていることはよく分かる。こうやって廊下の真ん中（正確には右の壁より）に未来・羽佐人・サキ先生・婦人警官、と四人立っていても色んな格好の人たちが足早に行き交っている。警察の制服だけではないのだ。そういうところ、学校とはちょっと違うかな、とか思ってしまう。
「えっと…それは構わないと思いますが…」
辺りを見回す婦人警官。サキ先生の方が先に見つけて手をあげる。
「ああ、戸田先生。こっちです」
ちょうど啓児とトーダが戻ってくるところでもあった。なんとなく、なんとなくだがトーダがちょっと老けたようにも見える。無言で汗をふくしぐさも、そのハンカチが重そうにすら見える。
「七咲君。こちら福田さんのお父さん」
「…初めまして」
やや目を伏せて、ちょっと怖がっている…？
「ありがとう」
その手をしっかりとつかむ羽佐人。…一瞬だけびくっと身を引く啓児。
「…ありがとう。君のおかげで娘は何もなかったんだ…本当にありがとう」
「いえ。その…」
斜め横を向いたまま目を上げてはいない。羽佐人と目を合わせない。そう言えば…未来も彼の顔をはっきり見たのはあの時が最初だったような気がする。手を刀みたいにして…とんでもないことを聞いてきた、あの時。
…なんだか楽しそうだった…？ あの時の七咲君…？
ふと思ったのだが、そんなわけはない…と思い直そうとして、でも。
…わたしは七咲君のこと、全然知らない。
転校してきてすぐなのだ。もちろん相手も未来のことをよく知っているはずもない。それでも。
…きゅりお…す？
そんな言葉が彼の口から出ていたはず。…何を、どんなことを知っているのだろう…この人は。
家まで送って行こう、いや大丈夫です一人で帰れます、しかしそれではこちらも…何かお礼がしたいのだが、いえそんなことは全然気にしないでください、そうかね…とこんなやり取りもあった。
「何かあったら何でも言ってきなさい。できることなら力になるから」
羽佐人がそう言うのを、未来は黙って聞いていた。
「いえ。そういうのは…えと、大丈夫ですから」
軽く頭を下げて、すでに暗くなっている道へと啓児は消えていった。するするっと溶けるように…と、そんな風に感じたのは未来だけだっただろうか。夜の闇、と言えばやや大げさにも聞こえる。しかしそんな暗い場所に慣れている。そう感じたのも事実だったのだ。
「じゃあ、帰ろう」
「…うん」
羽佐人の手でも握ってあげたらよかったかな、とも思う。しかし未来はいつもの通り、父のちょっと後ろを歩いていくのだった。
先守はすでに帰っていて、玄関まで出迎えてくれた。すでに事情を知っている様子。…恐らく羽佐人が知らせたのだろう。
「大丈夫か？」
心配そうにそう言ってくれた。うん、と一つだけうなずきを返す。…実際に何ともないのだ。ただ手を引っ張られただけで…でも、あの時啓児が来なかったら…？
「あんま無茶すんなよ」
呆れとも安心ともつかないため息。
明夫は帰ってきてから事情を聞いたらしい。どたどたっ、と廊下を走る音がして、いきなり部屋のドアが開いた。未来は明日の準備をしているところだった。普段は一応ノックなんぞしてくるのである。
「ねーちゃん、誘拐されたってホントか？」
「…誘拐されてたらここにはいないでしょ」
「あ。そっか」
なんだか明夫らしい、と笑ってしまう。なんなんだよ、とちょっとふくれっつらの明夫。せっかく心配してやったのに。
「ごめん。ありがと。…もう大丈夫だから」
…ふう。
明日の準備を終えて。そろそろ寝ないといけない。…ふと目に止まったのはあの本。机の上の本棚に突っ込んでしまっていたのだが…やはり気になる。
…このことなのかな、七咲君が言っていたのって。
題名は『dVsjpVt』とかそんな感じ。やはり読めない。中身の文字もアルファベットらしいのは分かるが、内容がさっぱり分からない。英語じゃないのだろうか…？
…ま、いいや。もう遅いし。
何の気もなくその本をマクラの下に入れ、ぽんぽんぽん、と叩いて眠りに入ったのだった。
