そこへ、ひょい、と小さな影がカウンターへ跳び乗ってくる。
「そういう仕事もあるってこった。掃除とか買い物だけじゃねえってこったよ…宿屋の手伝いってのは」
「…ガト？」
「なんだいどうしたい。おいらがいちゃいけねえのかい」
いつの間にか用意してあるガト用と思われる小皿からミルクをぺろり。ニコと未来の間に割って入るような形でもある。
「その辺をちょいとぐるり、とな。ほう、空いてきたね。これっくらいならちょうどいいってもんだ」
「いいよな、ガトはなんもしねえでいいんだもんな」
「アホ言うない。おいらはおいらで色々忙しいんだよ。てめえの物差しで全部計ろうとすんない」
上手にカウンターの上で寝そべるような格好。両前足を軽く組んで、そこへ頭を乗せる。くるりと尻尾をひねるように動かす。
「…隠者の森か。行く時は声かけてくんな。おいらも久しぶりに遠出ってやつをしてみようかね」
こっちでも太陽は同じように光を与えてくれている。頭の真上くらいに来たらみんながメシを食い、やや傾いてくると食堂が閑散、としてしまうのもやはり同じ。
未来はまだ痛みが残っていてうまく体を動かせない。…足腰だけではないのだ。腕から肘からみんな痛い。痛み止めを飲んだから、と言ってそんなすぐに効くものではないだろうし。
「どうしよ、あたし達だけで買い物行ってきちゃおっか？」
「…そうだなあ…ミライがこの調子じゃあ、なあ…」
隠者の森とやらに行くのにもやはりそれなりの準備が必要になのだそうだ。未来の武器は明日できる。その武器を受け取ったらその足で隠者の森に向かってみようか…ということになっていた。もちろん、明日の未来の状態次第。もし今日とあんまり変わらないようだったら武器だけ受け取って（未来が歩けないようならディクシィかハリエルが代理で武器屋へ）、次の日かその次の日に伸ばそうか…と。
正直申し訳ないような恥ずかしいような気持ちでいっぱいの未来なのだが。こればっかりは当人にはどうしようもない。
「じゃあさ、ミライは部屋で寝ててよ。ちょっと早いけど…その方がいいでしょ？」
「…うん」
「必要なもんを俺とディクシィで今から買ってくるわ。帰ってきたら説明してやる。これでいいな？」
「うん…」
いいも悪いもないのだが。どうしようもできない、というのが事実に近い。
引きずり下ろされたかかしを元の位置に持ち上げるような、やはりそんな不恰好な状態でベッドへ運ばれる。二人が手を振って部屋を出て行くと…一つため息。…少し、目を閉じてみる。
…やっぱり情けないなあ…。
ハリエルとディクシィが町に買いに出たのは消耗品の類その他である。
隠者の森とはナンタイコウの城門から出て、歩いてもそれほどかからないところにある小さな森。…小さいなら林なんじゃないか、という疑問も湧くかも知れない。だが一歩足を踏み入れれば、頭上から分厚い葉と勢いのある枝が覆いかぶさるように出迎えてくれる。地面はほとんどが下草と落ち葉だけ。光もほとんど入らないような場所も多い。やはりこれは『森』と呼ぶべきなのだろう。もっとも、しばらく歩けば抜けてしまう程度の広さしかないのだが。
こういう小さな森はいくつかあって、それぞれに名前がついている。その中でも隠者の森は初心者向けの森として有名である。他にも『賢者の森』とか『狐狸の森』とかそういうところもある。場所によってはかなり難易度が上がるので、内情をよく知る者の情報は必要である。よく知っているはずの場所でも最近は…とかそういうこともよくある。
ハリエルたちはそういった情報も求めて町に出ていたのだ。大まかな情報なら薬草関係を売っている道具屋か、それ専門の露天商でもおまけとして教えてくれたりする。そういった情報網は冒険者ならそれなりに持っているものではある。…中にはヤッシのようにそっちが専門になりかけている冒険者もいたりするが…それはそれでアリ、なのかも知れない。
「隠者の森、ねえ…最近はあんまり変な話も聞かないね。いつも通りでしょ」
よく利用する露天商の言葉。ハリエルが買ったのは傷口に貼ると治りの早くなる葉と、疲れた時にちょっとだけ疲れを取る木の実をいくつか。ちなみに名前は『貼り葉』『疲れとる木の実』という。なぜかそのまんまで呼ばれている。
「隠者は？ 最近は出てきてるの？」
「いんや。こっちもここんとこは聞かないねえ」
そう。なぜ『隠者の森』と呼ばれているかと言うと…隠者が住んでいるから。時折出てきては冒険者に助言してくれることもあると言うが…何分にも隠者なのでそう簡単には会えない。
…あ、やば。ちょっと寝てた…。
一方宿屋の未来はうとうとっとてしていた。やはり疲れも激しいのだ。もう寝てしまおう。そんなことを思いながら無意識のうちにマクラの下を探る。前に入れたはずの薄い何か。ディクシィに渡されたのが…まだある。引っ張り出して見ると…。
…なんで？ どうしてここにもこれがあるの？
