それから先守も起きてきて。やはり朝はばたばたしてしまう。
明夫が来週からの部活の合宿だか特別な練習だかのことについて、さも大きな事件でもあるかのような…大げさな口調で話す。先守が「そんなわけねえだろ」と呆れたようにツッコミを入れる。羽佐人はそんな息子たちの様子をいつものように微笑みながら見つめ、未来は時折あいづちをうつ。
いつもの通りの朝の風景。来週から明夫が早く出るから少しは変わるかも知れない
皆がそれぞれ出かけていく。未来は羽佐人が出かける時に何も言わなかった。いや、言えなかった。なんだかんだで忙しかったからでもある。
…ま、いっか。
そのうち話してみよう。父さんなら何か知ってるかもしれないし。
朝の電車ではいつもの通り。真記が寄ってきて…宿題の話や今日の体育の授業のことなどを話す。今日はちょっと混んでいるようだが、それでもいつもより少し多いかな、という程度。やはり二人は座ることもなく、手すりによりかかったまま。
「なんつーかさ、あれ？ そろそろどうにかして欲しいよねってやつ？」
何をどうどうにかして欲しいのか、普通の人間なら理解するには時間が必要かも知れない。真記は話している最中に全く違う話題に勝手に切り替えてしまうことがよくある。ついさっきまでは体育の授業ってきついよねー、長距離とか走りたくないよねー、かったるいよねー、とか話していたのにいきなりこれである。
とりあえず「うん」とうなずく未来。
「がたがたしちゃってね…なんかかまそうかな、脚の下」
ドアそばの垂直な手すりにぶら下がるような…そこまで小さくはない…両手で突っ張って体を丸めるような、そんな姿勢。こちら側のドアはしばらく開かないから未来はドアによりかかっている。
「…机のこと？」
「そ。なんであたしのだけなのかね、こないだもそうだったんだー」
教室の、真記の机のことのようだ。何かで脚の一本が短くなったのか、どうにもがたがた揺れるらしい。…そう言えば前にもそんなこと言っていたような気がする。
「わたしのはそうでもないけど」
「多分あたしのだけそうなる運命なんだよ、ちくしょう、こうなったら運命に逆らってやる」
どうやって逆らうのか。トーダに一言言えば済む問題でもある。
電車を降りてバス停へ。そしてかしこと会い…一緒に学校へ向かう。なお、かしこは来週から文芸部の活動が忙しくなる、と誰かさんと似たようなことになっている。文化系には珍しく朝練があるのだと言う。
「何々？ うさぎとびとかやんの？」
「んっとねー、うさぎとびはやんないけどね。しんぶんのね、気になったきじをまとめたりするの。しんぶんって朝に来るじゃない？ だから朝早くにみんなであつまってやろう、ってね？」
「……」
「………」
思わず顔を見合わせてしまう。かしこと未来は二人がけの座席に座っているが、真記はやはり立っている。未来が通路側に座っているので見上げるような状態だったりする。
…別に朝じゃなくてもいいんじゃ…。
…新聞って必ず朝に読まないといけないものじゃないよね…。
「かしことしては楽しみなんだー、みんなであのきじがいい、こっちがいいってわいわいえらぶんだよ？ 楽しいよね？」
「ま、かしこが楽しいってんならそれでいいけどさ」
「…でも、なんで記事を要約したりするの？」
すると。下から唇に指を突き当てて…バスの天井を見上げる。『歯のお手入れをしませんか？』歯科医院の広告が貼ってある。
「そうするとね、何だっけ、ぶんしょうのね、ないよう…を、はあく、しやすくなる…とかそんな感じのことをマミヤ先生が言ってた。そしたらもっと、けんしき…がひろがるって。つまり書くことがうまくなるってことだよね？ ね？」
「はー、そりゃま、そうなんだろうねえ…ところでマミヤ先生ってそろそろタバコ吸ったりしないかな？」
「まき…なに言ってるの？ 学校ってタバコだめでしょ？ すわないよ」
ちょっとふくれっつらのかしこ。間宮先生とはトーダよりやや年上の男の歴史の先生で、寡黙で黒い服装を好む向きがある。一部ではかなりの人気があると未来もかしこから聞いたことがある。どこかミステリアスな雰囲気が受けているのだとか。
「じゃあさ、大きな黒い帽子かぶったりとか？」
「しないってば。まえにも言ったっしょ？」
真記は時々こういう妙なことを言い出すことがある。何かの例えなんじゃないか…と未来とかしこは思うのだが、元ネタが分からない。
「そっかあ…そりゃ残念。やっぱり大きな黒い帽子にタバコだよねえ…マミヤって言ったらさ」
