…うーーん…。
今日は隠者の森に行くことになっている。久しぶりに仕事だ、とハリエルは張り切っているが…未来には気になることが二つ、ある。
一つは啓児のこと。
この間少し会話が成立？した時に「あっち」の話になった。この話題だと二人はそれなりに話せるのだが…バン・ハンドルって、よく考えてみたらとんでもない世界なんじゃ…とか思い始めている。もちろん啓児にくわしく聞けばそれでいい話なのだろうけど。それ以来そういった話が出ることはなく（そもそも話をすることもほとんどない）未来からはなかなか切り出しにくい話もである。
そしてもう一つは…あの本。
「こっち」へ来る時にまくらの下へいつも入れる、あの本。あの題名は…。
…キュ、キュリオス…。
そんな風に読める、そんな気がする…。
「ほひ、ふわねーのふぁよ？ はっはらおふぇがはわりにふって…」
「余計なこと言わないこのまほーけんし！」
ディクシィがハリエルの両肩をつかんで、ぐるりと回す。もちろん未来のいる世界のように回転する椅子（スツール？）なんかないので無理やり体を捻じ曲げてるような格好になっている。
「あんたが代わりに食べたってミライの栄養になるわけないでしょ？ そんな意味ないこと言わない！」
口いっぱいにほおばっていた炒めメシを、ごくん、と大きな音立てて飲み込む。
「…いや、いくらなんでもそれくらいのこと、俺にだって分かるぞ」
「ほんとに？ なんかそういうとこまで分かってないような気がする。なんたってあんたはトーキヘンタイなんだから」
「…なんだって？」
「トウヘンボクとか言いたいんだろうさ」
いつものようにカウンターの上の食器の間をひょいひょいくぐり抜けていたガトが…ため息。
「相変わらずだねえ、ったく」
「つかお前、よくそんなの分かるな」
「ガト…一体どうしちゃったの？ 調子よくないの？ いきなりボクなんて…いつもはおいらって言うじゃない！」
…そんないつもの朝なのだが。
未来はディクシィとハリエルの間に座っている。だからこんないつものやり取りが気にならないはずはないのだが、どうにも他のことが気になっているのである。
…やっぱりちゃんと聞いておいた方がいいのかなあ…。
バン・ハンドルのことは啓児に聞けば済む。問題はタイミングだがそれはいつか帰りの時にいずれは訪れるだろう。
しかし本の題名に関しては…
…誰に聞いたらいいんだろ…。
最初は未来自身にも何が書いてあるか分からなかった。それが…最近なんだか意味が分かってきているような、そんな気がする。
この酒場ではなくて宿屋の食堂にしてもそうである。
最初はてっきり絵が飾ってあるのかと思っていた。それが文字もある、ということが分かってくるまでにそう時間はかかっていない。最近では絵…抽象的な図形を組み合わせたものから美女が微笑むものまで多種多様…と一緒に書かれてある文字の意味も分かってくるようになった。
そのほとんどは宣伝文句。
つまりナンタイコウの他の店のポスターがほとんど。屋台のものもあれば固定の店のものもある。さらにはお酒の宣伝から食材の宣伝から建築資材の宣伝まで。こういう風に人がたくさん集まる場所に張り出しておけば宣伝効果も上がる、というものである。もちろん無料ではないらしい。それでもマリカに言わせれば『たかだか小銭程度や』とかそんなもの、とのこと。具体的にどれくらいかは分からないが。
その中にはディクシィが言っていたシードルポップ屋台のポスターもある。ややつぶれた球形の赤い果物と薄青い涼しげな背景がさっぱりとした印象を与えてくれる。あれから何度かディクシィと食べに行っているが、未来も嫌いな味ではない。むしろ好きな食べ物になっている。
食感としては柔らかいアメ、といったところだろうか。グミほどの歯ごたえはないけれどやや酸っぱい果汁と甘味の絶妙なバランスを味わえる固めのゼリー…みたいなものと言ってもいい。まだ尋ねていないから分からないが、未来はリンゴかそれに近い果物を使っていると思っている。
お菓子としてはナンタイコウではポピュラーなものらしく、いくつかの屋台がある。しかしディクシィおすすめのあの屋台は他の追随を許さない。一度他の屋台でも食べてみたがまるで味が違っていた。作るのになかなかの技術が必要なものらしい。
…今日も行ってみたいなあ…。
思い出すと自然と口の中によだれがたまってくる。まだ朝食の最中なのに。お茶のポットにパンがいくつか、と今日は軽め。もちろんハリエルは朝から炒めメシを三杯もおかわりしているが…帰ってきたら久方の仕事のお祝いでもしよう、と軽めにすることにしたのである。
未来にとっても今回が初めての仕事、というわけではない。今回でようやく五回目、と初心者同然ではあるのだけれど。それでもちょっとした額は稼いでいたりする。まだまだ小額だけれど。それでもシードルポップを買い食いできるくらいはある。「あっち」にお金は持って帰れないのだけれど。
