「…これから…色々調べてもらおうかと思う…」
三時限目は地理歴史。地理と日本史と世界史を学ぶことになる。二年生になるとどれかを選択していくことになけれど、未来たち一年生はそこまではやらない。
それぞれに別の先生が教えることになっている。今日は日本史なので間宮先生が教室に来ている。今まで授業をしていて、そろそろ終わりか、という頃合。
『マミヤと言ったら黒い服だよねえ…なんでタバコ吸わないのかなあ』
とは真記の言葉。何か元ネタがあるらしい。
そのせいではないと思うけれど、いつも黒い服。背広からシャツからネクタイまで真っ黒。きちんと撫で付けられた髪ももちろん真っ黒。噂では愛車も真っ黒で玄米しか食べない、ということになっている。もちろん噂の話だから真偽のほどは不明。
一部の女子たちに人気がある。熱心なファンがいてファンクラブを結成しているとか。未来のクラスにも何人かいる。規則がかなり厳しくて破ると即退会、なんてこともあるんだとか。…その辺の感覚は未来にはどうにも理解できないのだが…規則の中に「マミヤ先生の授業中に騒ぐこと禁止」というのがあるので、授業中にうるさくしないのはいいことなんじゃないか、とか思っている。
そのマミヤ先生は教卓のそばの椅子に軽く腰かけて、長い足を組んでいる。右ひざの前で両手をそっと組むという…姿勢。長身ではある。
「…お題は…江戸時代。…くじを用意しておいた。この中から一枚ずつ…選んでくれ…」
組んでいた手をほどいて、教卓の下から箱を取り出す。…白い紙でできた箱。黒くなくていいのかそれともこれしかなかったのか…？
「…有名な、人物の名前が書いてある。その人物について調べてレポートを提出…」
どこかからか「えー」という声が上がる。同時に「しッ」という鋭い声も飛んだりして。恐らくファンクラブの子だろう。
同時に誰かが「来週までにですか？」と聞く。
「…日本史の授業が終わる日まででいいよ。早く出してもいい…」
この間まで地理の授業だった。そして今は日本史。そのうち世界史が始まるから…それまでに提出、ということ。それだったら大丈夫かな…という安堵に似た感情が教室に満ちていく。
「…さ、一人ずつくじを引いてくれ。今日はこれで終わりだから…」
直筆のくじ、ということでファンの子なんか期待しちゃうんだろうなあ…と苦笑する未来。時々こういうあまり授業とは関係ない（でも勉強には関係ある）レポートとか書かせる先生でもある。でも採点が厳しいわけでもなく、直接成績に関わってくるわけでもないみたいだし。まあ、いいんじゃないのかな的な軽い気持ちも皆にはある。
と、言うわけで未来もあまり深く考えずくじを引いたのだが。
そこには几帳面な文字で人物名が書いてある。
…えっと。
別に読めない漢字ではないのだが…。
「やっほ、みきー…どんなのだった？ あたしなんか多分コレ日本人じゃないっぽいんよ？」
ひらりひらりとくじを舞わせて見せる。もう休み時間。あちこちに似たような光景がある。
「え？」
「リンコピンだって。あの頃から当て字とかってあったんだねえ、いやあびっくりびっくり」
無言でくじを奪うかしこ。そして大きなため息。
「まき…林子平（はやししへい）くらい知っておこうよ…授業でもやったじゃん…」
「そうだっけ？ あはは、誰だか知らないし。かしこは？」
「中川淳庵」
「なっかがーわ、じゅあん？」
「だれよ、それ。なかがわじゅんあん！」
「いやなんとなくそんな感じかなあって。フランスとかスウェーデンとか」
「日本の蘭学者だよ、蘭学者。しってるなまえで良かったな、っておもうけど」
「へー、蘭ってあのキレイな花の？ 植物の学者さん？」
「…まき…」
「あっはは、冗談冗談、じょーだんだってば」
林子平とか中川淳庵ならどこかで聞いたような気がする。でも…。
「みきはどうだったん？」
「うーん。えっとね…」
「みせてみせて？」
マミヤ先生が顧問をやっている文芸部のかしこである。そっち関係の知識もあるはず。
でもなんだか棒でも飲み込んだみたいな顔になっている。真記に至っては完全に何だか分かっていない。
「さかい…だ、だく、だけ…だ…」
酒井抱一。そう書かれてある。
「で…誰？」
