…まさか待ってたりしないよね。
人だかりでもできてるんじゃないか、と勝手に心配してたのだが。『忠犬ハチ公みたいなネコがいる』みたいな。
店の中に入ってもあのキジネコのことが気になって仕方なかったのだ。そもそも「メインの食材」を買うために入ったのに、なぜかお菓子売り場をうろついてみたり風呂掃除用洗剤を手に取ってみたり。時々店の外の方を伸び上って見ようとして、でもそんなことしても見えるはずもなく。集中できずに気が散ったまま、結局豚肉のコマ切れのパックとニラ、そしてマイタケを手にして気が付くとレジに並んでいたのだった。
…野菜炒めにしよっか。
キャベツとタマネギがまだあったよね、とかそういうことまで気が回るようになったのは出口の自動ドアを前にした頃のことだったのだ。
あの茶色のキジネコは待っていなかった。ただただ薄暗くなりつつある少し肌寒い空気があるだけ。
別に期待していたわけじゃないし。なんだか逆にホッとしたような、ちょっと残念なような、そんな気分で歩き出す。
…ガトとはちょっと違ってたかな。
ガトはやや年取ったふてぶてしいクロネコ、と最近の未来は思うようになっている。動作はやはりネコで俊敏だし音も立てない。でも行動がやはりふてぶてしいのだ。体つきがどこか丸っこいような…実際にそうでもないのだけど…そんな印象を受けるからかも知れない。
それに対してあのキジネコは体もすらっとしていてしなやかに見えた。細い脚を交互に差し出す歩き方もどこか優雅。こちらは若い猫だからかも知れない。
そんなに猫に詳しいわけではないのだけれど。飼っていたこともないし…友達や知り合いにも飼っている人はいない。親戚縁者からもそういう話を聞いたことはない。だから未来の記憶にある猫の姿、というのは野良猫かどこかの飼い猫がほっつき歩いている姿しかない。
駅前からマンションまではそんなに時間はかからない。レジ袋と学校のかばん持って朝歩いてきた道をまた戻るだけ。未来と先守はこうやって歩いて帰る。明夫は自転車で近くの中学校にまで通っている。
マンションの前には植え込みがいくつかあって、何本か高い木がある（そのうちの一本とよく似た木を未来は「あっち」で見たような気がしている）。
もう、日が落ちてきた。最近は大体こんな感じで帰る頃には本格的に薄暗くなってしまう。なんだかんだと学校に残ることの多い先守は未来より後に帰ってくる。その時にはもう真っ暗になってしまっている。羽佐人はもうちょっと遅くなるのがいつもなので、やはり暗い中帰ってくる。
「あ」
マンションのエントランス（そこまでカッコいいものでもないけど）の両脇には背の低い植え込みがある。未来から見て右手の植え込みの中から、どこかで見たような猫がゆっくりと出てくる。
キジネコは鳴くこともなく、ゆったりとした動きでエントランスの石畳みたいな模様の床の上まで降りてきて少し歩く。ぴん、と尾っぽを立てて。細くて長いそれは旗を立てるポールのようにも見えるし、ちょっと先が曲がっているから孫の手のようにも見える。ほっそりとした体とほぼ同じくらいの長さがあるんじゃないか、とか思ってしまうけど…そこまで長くはないだろう。アンバランスにも思えるけど、逆にそれがマッチしているような、そんな感覚にもなってくる。
きらり、と緑色の目が小さく光る。…未来を見ている？
…うちのマンションの飼い猫なのかな。
別にペット禁止のマンションというわけではない。小型犬を飼っている家族がいるのも知っているし。猫がいてもおかしくはない。
ネコはそのまま腰を下ろしてしまった。未来の行く手の右側に、ちょこん、と。
行く先を阻んでいるわけでもなし。気にはなるけどそのまま前を通り過ぎる未来。
『…ふうん。ちょっと感じが違うんだね』
低い女性の声。思わず振り向く。…誰も、いない。いや、そこにはあのキジネコが…。
つるり、と前足で顔を撫でると後ろを向いて…夕闇に駆け込んで、そのまま溶けるように消えてしまった。
………。
…なんだったんだろ。
あのキジネコがしゃべったのだろうか、いや、そんな…でもたしかに声を聞いたはず、それならやっぱり…でもでも。
台所で野菜炒めの準備中。こういうのは炒めてから時間が経つと水っぽくなったりして美味しくなくなるので、先に材料だけ切っておいて準備しておく。調味料もあらかじめ合わせておいてタイミングを見てから炒め始める。まだ未来しか帰ってきていないのだから。しかし…。
…ガトだってしゃべるんだし。
とかそんなことを思っているからなかなか手が進まない。
…でもあれは「あっち」の話だし…。
それはそうなのだが…。
「ただいま…あー、疲れた」
先守が帰ってきたので我に返って調理を進めることになる。
