chapter3 "おーばーちゅあ その１ [overture #1]"
…あー…なんか安らぐ…。
ごろりと寝返りをうつ未来。ここはあの岸壁の上。足元にはガトも寝転がっている。はるか眼下にうちつけてくる波は…やはり高い。
「ねえ、ガト」
「…なんだい？」
「私、やっぱりここ好き」
「そうかい。そりゃあ…良かった」
ころり、と寝返りをうつ。柔らかい耳の先がかすかに足首に触れて、くすぐったい。
「…っと、誰か来たみたいだねえ」
「…ん？」
首だけ持ち上げてみる。ここの唯一の欠点（と、未来は勝手に思っている）は風が強いことだったりする。海がいつも大荒れなのと何か関係があるのかも知れないが、ここもいつも強風が海から吹きつけてくる。未来とガトがここへ来ると真っ先に寝転がるのは…その方が楽、というのももちろんあるけど…この風を避けるのも目的の一つだったりする。ぼうっと突っ立っていると身体ごと持って行かれそうな勢いなのだ。
「誰…？」
たしかにかすかな足音が聞こえてくる。一面の草原だから、草を踏みしめるような、やや湿った音。
が、その足音は未来のとこに来るでもなく、ガト（つまり未来の足元）のところに来るでもなく。ぴたり、と止まってしまう。
「…？」
知り合いじゃないのかな、と思って上半身だけ起こして振り返ってみる。途端に強い風が背中から襲ってくる。
…ディクシィ？
そろそろ昼ご飯だよー、とかそんな風に呼びに来たのか、と思ったのだけど。
緑色のじゅうたんには…黒い一点だけ。
黒いフードをかぶったあの女行商人だ。ちょっと離れたところに座っている。足を投げ出して…なんだかリラックスしているような。
…あの人もこういうとこ好きなのかな。
また頭を下ろして、薄い青空を見上げてしまう。
視線は…感じるような感じないような。少なくともこの間のように、じっと見詰められているような感覚はない。
そういう感覚はないのだが。
ないのだが…何だか気まずい。こっちから話しかけてみてもいいのだろうか、それともあっちから話しかけてくるのを待った方がいいんだろうか。他には誰もいないのだし。いやいや、そういうことはしないでお互いそのままの方がいいのか。
…ガト？
そっと頭を上げてみると、こっちの黒い塊は足元でくるりと丸くなっている。熟睡しているようだ。
…もー…。
ガトって時々こうなんだよね、冷たいって言うか突き放すって言うかさー…普段は何かと構ってくるくせにさー…。
と思っても当猫はどこ吹く風、といった様子で眠っている。
未来も目を閉じてしまう。薄雲がかかっているからまぶしくはない。まぶたを閉じると裏にかすかに光を感じる程度。
その代わり、と言うわけではないだろうけど…はるか下から響いてくる波の音を体全体で感じてしまう。どん、どどどん、と。波の音は一定の間隔で打ち寄せてきているわけではない。複数のリズムが複雑に組み合わさってできている。それを一つずつ、一つずつ丁寧にほぐすようにじっくりとバラしていくような、そんな微妙な感覚の作業を頭の中、いや、心の中で繰り返していると…。
…むにゃ。
やがて眠ってしまう。こんなふわふわした感じもまた、未来は好きだったりするのだけど。
ざーん、どーん、ばばーん、どばっしゃあ…。
「おーい、起きてっか？ 気持ちよさそうなとこ、悪いんだけどさ？」
軽く肩を揺すられて…目を覚ます。見上げるとそこにはディクシィ…ではなく短めに切った髪と目を細めて笑う背の高い女性。その背には長い弓が見える。
「…カノン…さん？」
「おうよ。あたし。みんな集まってんだ。あんたも来ないかって。…ガトもね。寝たまんまなら抱えてきたらいいさ。軽いし」
