黒い女行商人は、黒いフードをひるがえして…その姿勢のまま床に沈み込んで、消える。やはり白い光をまとったまま。
そして床に大型のネコ科動物が姿を現す。
『これが私の本来の姿だ』
…えっと…。
ライオンかな、とまず思った。時々テレビで流れる動物関係の番組とかで、よく見るメスのライオン。トラだと縞模様があるしヒョウにも模様がある。だけどそういうのが全然ない、薄茶色一色の身体をしている。たてがみがないのだからオスではないのだろう。
「…えっと…」
両方の前足を軽く重ねてやや上体を起こして、後ろ足を投げ出して腰を下ろすような格好。テレビや動物園でよく見るくつろいでいるライオン…はこんな感じなんだろうか。ここまで間近で見たことがないから、ちょっと、分からない。
台所だってそんなに広いわけではない。少なくとも未来の身長よりも大きそうな動物が横になるにはやや狭い。
『驚いたのか？』
「…目」
思わずそんな言葉が口から飛び出た。
『目が、どうかしたのか？』
「…その…なんか…」
人間の目とは違って白目の部分がほとんど見えない。真っ黒で、つぶら。闇のように黒くて谷の底のように…深い。
「キレイで…」
するとその黒い目をすうっと細めて、少し上を向く。右前足を顔に添えるように…笑い声を上げる。…ネコ科動物の笑い声、というのを聞いたことはないけど…これは人間の女性の笑い声と変わらない。
『ふふふ…はは、楽しいことを言ってくれる』
なんだか恥ずかしくなって、目の前の米を研ぐ手に力を込める。
『少し…お前と話をしたくてな』
「…そうですか」
『私の名はガーフ。ふむ、これでは…ちと狭いな。元に戻るとしよう』
横目で見ているとキラリ、と何かがちらりと光ったような気がして…大型のネコ科動物はあのキジネコに戻って、顔をこすり始めている。
『オーパス…いや、こっちではケイジ、だったか。七咲啓児。知っているんだろ？』
米を研ぐ手が止まる。
「え…あ、はい」
『あれは私の…部下みたいなものでね。あんたにはとても世話になっていると聞いている』
…世話って言うか何て言うか。何もしてないんだけど…。
むしろ色々教えてもらってるような。かえってこっちが世話してもらってるような、そんな気にもなるのだけれど。
台所のシンクに置いた釜の中に手を突っ込んだまま、体をねじってキジネコの方を見る。真面目な顔だ、ということは分かる。
『ありがとう。それをまず言いたかったんだ。…あれと仲良くしてくれて、本当にありがとう』
「その…えっと、こちらこそ」
何と返したらいいのかは分からない。そのままの姿勢で頭を下げて見せる。キジネコも同じように返してくる。
『そのお礼ってわけじゃないけど』
なぜか小さく「にゃあ」と鳴く。
『ここからが本題でね。私は旅人だが、あんたも旅人なんだ。知っていたかい？』
「たび…びと？」
…そう言えばそんなこと、どっかに書いたっけ…。
『旅人、というのは旅をする者のこと。これくらいは分かるだろ？ でもこの場合はちょっと違う。世界を渡る者のことを旅人と呼ぶこともあるんだ』
「世界を…渡る？」
こくん、とうなずいて見せる。
『旅人は世界から世界へと渡る。この世にはいくつもの異なった世界があるんだ』
「いくつもの…世界」
『そう。そしてそれらはキュリオスが管理しているんだ』
