「…何してんの？」
「いやいや。ちょっと…入れないですよ、ここには」
はー、と息を吐く未来。…そりゃ、そうだろうけどねえ…。
先守と明夫は少し広めの部屋を二人で使っている。一応境界線？みたいなものがあるって話だが…未来にはどこが「線」だか分からなかった。めちゃくちゃ散らかってるわけでもないし、すごくきれいにしている、というわけでもないのだけれど。二人には二人の何か約束事みたいなものがあるらしい。
「ムリムリ」
丸でその部屋に入る権利を剥奪されてしまったような様子でドアの前に、ぽつん、と明夫が座りこんでいる。それでもいやあ、参ったよなあ、と曖昧な笑みを浮かべている辺り…なんか明夫らしいと言えば明夫らしい。兄の感情に真っ先に反応した、ということだろう。
しかし未来は平気な顔でドアを開ける。明夫は一瞬止めようとしたみたいだが、何、構うことはない。
「なんだよ」
「…別に」
ぶっきらぼうな兄に、妹は。
…久しぶり…かな。
一人部屋をもらってからは数えるくらいしか入ってないような気がする。…あ、これが境界線か…と、なんとなく分かるのはそういう事情？からかも知れない。ボールやユニフォームらしき衣服、それに精悍な顔したバスケットボール選手と思われる大男のポスターがでかでかと貼ってある側と…山積みの本（半分くらいマンガ？）といくつかのゲーム機。それらが繋がってる小型のテレビと結構値の張りそうなヘッドフォンが転がっている側、どっちがどっちだかすぐに分かる。
ちょうど部屋の真ん中くらいに「空白地域」がある。どっちの持ち物もない。フツーに畳が見えている。
未来はその境界線上を歩き…明夫の側に座り込んでみる。布団や毛布がはね散らかったままのベッド。その前に腰を下ろしたのだった。
先守は勉強机の前の椅子に座っている。やや身を乗り出すような格好で、ももの上に両手を置いて。
「おい。なんだよ」
「さあ？」
そこらに手を伸ばしてみる。バスケットボールの…雑誌だろうか。しかしサッカーと野球と弓道の雑誌も近くに転がっていたりする。その弓道の雑誌を手に取ってみる。てっきりバスケだけかと思っていたのだが、こんな方面にも興味があったんだ…と少し驚く。
「なんなんだよ、一体」
「ねえ」
…弓って結構な値段するんだ…と片手でぱらぱらと。しかし内容はよく分からない。専門用語が多いせいもあるけれど、弓道って矢を放つだけじゃない…ということくらいしか知らないからでもある。それ以外にもやることや心に備えないといけないことが色々とあるようなのだ。
「母さんのことって、どれくらい覚えてる？」
「お前はどうなんだよ？」
…あれ？
ちょっとした…違和感？
「わたしね、今日父さんが話したことね、なんか…実感なかったんだ」
「実感…ない？」
ぎゅっと握っていた手を緩めて背中を背もたれにあずける。
「うん。なんかね。…ねえ」
兄の目をじっと見つめる。兄も妹の目を見つめ返す。
「母さんって…本当にいたのかな？」
先守は一瞬、大きく目を見開いた。少し、額から頬にかけて鋭く朱が差し込んだ、ようにも見えた。背もたれから身体を離す。ギギ、と椅子が小さな悲鳴をあげる。ややうつむいたまま…一回、二回と首を横に振る。
「おま、な、なに、何言ってんだ…？」
「実感ないの」
未来は表情を変えない。ただ兄の顔を見つめるだけ。
「本当に…実感ないの。わたし。母さんのこと。兄さんは？」
「俺は…そんなこと…ない」
「そう？ 父さんも実感ないって言ってたけどね」
「…父さんが？」
「うん。悔しそうに泣いてたよ」
「だから死んだことにしていいってか…？ そんなの…！」
