と、イントは誇らしげ？に言ったのだけれど…。
…どこにいるのかなあ…。
もちろんそこまでは教えてくれない。用は済んだのです、ではとっとと帰るのです、と正に事務的にガトの身体を解放して去ってしまった。
…母さんかあ…。
思い出そうとしても全然思い出せないのである。ゲンゾーじいさんの言うように「引っ張られてる」つまりはその辺だけ思い出がなくなっているらしい。
…あ、でも…。
何かきっかけ、と言うか何かちょっとした何かがあれば母さんのいるところに渡れるかも知れない。…何が、あればいいんだろう…？
気にはなっているのだけれど。まあ…いいかな、という気にもなってくる。この辺も「引っ張られてる」からなのかも知れない。
それでも朝は来る。朝が来ればいつもの通りの生活が始まる。…学校へ行かないと。
家事をやって、電車に乗って。真記やかしこに会って。そして…啓児にも会って。今日は阿多根先輩にもちょっとだけ会えた。そしてもちろん授業も受ける。…いつもの。そう、いつも毎日やってることばかり。そして家に帰ってきて…ご飯食べて。お風呂入って…。
…明日の準備もしたし。
そろそろ寝ようか、と。そしていつものようにベッドの枕の下に…いつものアレ入れて。電気を消して横になって…そしていつものように
ぽんぽん、と…
いつものように、本当にいつものように軽く叩こうとして。…いや、ちょっと待って、これ…？
誰がやってたんだろう。この…『ぽんぽん』って。
いつか誰かがやってたはずなのだ。いつか、誰かが。どこかで。いや…場所は間違いないはず。ここ。このベッド。物心ついた、少なくとも今現在自分の中にある記憶の中ではずっとここで寝ていたはず。まさかその頃から自分で『ぽんぽん』していたはずはない。枕に頭をあずける前に自分で軽く、枕を、叩く。結構めんどくさいことをしているのだ…よく考えてみると。
…じゃあ…誰が？
誰かが未来の寝ている時か…眠りに入る時か。その時に『ぽんぽん』とやっていたはずなのだ…。
深く考える必要はないと思う。だって、それは…恐らく…。
「母さん…」
その瞬間、自分でも思わぬほど大きな沼のようなものを身体の下に感じた。その沼に一気に引きずり込まれていくような、地の底にまで落ちていくような感覚。この感覚はまるで…渡りのそれと似ている。だけど、自分の意思ではない…渡り。ナンタイコウへ渡る時とももちろん違う。
それでも不思議と恐怖は感じない。なぜかは分からないけれど。
身体はずんずん落ちていく。どこまで落ちていくのか、と思ったりできる余裕まである。
…落ちていく。
そんな童話があった気がする。穴に、深く深く落ちていく。落ちた先には不思議で奇妙な世界が広がっていて…それは…夢の…世界？
いや。違う。ここは…前に来たことがある。
落ちきった先には白い世界。息をしてもいいのだろうか。そんな思いになってしまう世界。そして…
…み・ら・い…みらい…
自分を呼ぶ声が聞こえる。耳で聞いている感覚ではない。どこかからともなく自分の頭の中に浮かびあがってきてはまた溶けて消えていく言葉の数々。それらを拾い上げては指の間からこぼれ落ちていく。水を、白いけれど透明な水を手の平にすくいあげてはまたこぼれ落ちる。まるで無駄な努力をしているような…でも無駄には思えない、どこか遊んでいるような、かつてこんなことばかりしていたような、懐かしい感覚。
…母さん。
すっと右手を目の前にかざしてみる。何か、触れ合う感触がある。
…み・ら・い…
誰かの手だ。それは、分かる。これは、この手は…。
…ダメじゃない、こんなところまで、きては。ダメよ、こんなところ、まで…きちゃ…いけない…
何かが身体の奥底に入り込んだ。そして未来の体は一気に持ち上げられる。真下から突き上げられ、吹き上がる流れに乗ったまま、上がっていく…。
「は…！」
自分の部屋。自分のベッド。目覚まし時計を見る。…全然時間が経ってない。そうだ、寝ないといけないんだ…。
無意識に枕の下を探る。…ない。あれ…？ たしかに入れたはずのアレ。
「えっと…？」