『ヒーーーーー！！』
多分悲鳴なんだろう、多分。
「あ、あの…」
声と一緒に手を差しのべてみて、それが全くまるで相手のソレと違うことに気が付いた。そりゃそうである。相手のソレは吸盤のある触手で、うねうねと動き回って一瞬たりとも止まることがない。
『ヒ・ヒ・ヒーーーー！』
甲高い声が辺りに響く。ちょっと…いやかなりヤバいかも知れない。
…このカッコがいけないのかな。
相手のその姿（イカ）がこの世界で普通なら未来のこの姿（人間）は明らかに異様である。あっちの、人間がフツーにいる世界にイカ人間が現れたら大騒ぎになるだろう。その逆ももまたあり得る。もちろんそういう異様？に慣れた世界もあるのだろうけど、相手のこの反応はどう見てもそういう反応ではない。
…できるかな…。
あのガーフが勝てない、と言い切った世界なのである。未来ごときが相手になるのか分からないけど…
「あら」
意外とすんなりと黒い鳥、あの小さくて嘴の分厚い、あの小さな黒い鳥の姿になることができた。できたのだが…
『ヒヒヒ、ヒ・ヒヒヒヒーーー！！！』
相手の反応が尋常ではなくなってくる。悲鳴のレベルを超えて絶叫になっている。それも、恐怖に対する絶叫。木の陰に隠れていたのが、人間だったら腰が抜けてしまったかのように…イカに腰という概念はないだろうから身体の中ほどくらいに力が入らないような…その場に尻もち（尻もないけど身体の重心の下くらい）をつき、そのままずりずりと後ずさるような様相だったりする。
…怖がってる？
相手は相変わらず『ヒヒヒ、ヒーーーー』しか言葉を発していない。そうか、そこも何とかできるの…かな？
ちょっと、意識を集中してみる。…イメージとしてはゲンゾーじいさん。あの時の…テーブルの上の…
『あ、あ、あー…』
…あ？
『あ、あー…あああ』
…？？？
『あくまだー！ 食われるー！ あくまー！ 助けてー！ ひーーーー！』
…いや、そりゃあ、まあ…なんかそんなことも思ってたけど…。
でもまさか目の前で恐怖の叫び声上げてる等身大のイカを捕まえて食べるつもりまでは、ない。何だかあんまし美味くなさそうだし硬そうだし。
「あの、その…」
『来ないで！ ひーー！ 食べられる！ おいしくない！ おいしくないから！ あたし！ ひーーー！！！』
あたし、ということは女の子なんだろうか、とかそんなことも思ったりする。イカのオスメスの見分け方なんて未来には分からないのだけど。
「えっと…」
『助けて！ ひー！ 食われる！ ひー！ 助けて！ ひー！』
「その…」
ふ、と気づくとそこらの木の陰からいくつもいくつもの視線を感じる。黒い目がたくさんこちらを見ているのだ。それらは無論のこと人間の目ではなく、明らかにイカの黒い目。人間のように白目もない、ただただ黒いだけの目、それも無数の目がこちらを見ている。
明らかに友好的ではない、その視線。
段々怖くなってきた。身の危険…それだけではない、敵意を超えて明らかに害意がびしばし伝わってくる。
…まずい。
今の未来の体は反射的に動く。ちょっと助走を付けてそのまま青空の中へ…ふ、と振り返ってみるとあちこちの木の陰から三角形、白ではなく茶色の三角形のイカの頭がいくつもいくつも飛び出して来ている。…よく見ると…何かを持っている…？
キラ、と日の光を反射したそれは…刃物？
…いや、あれは…。
未来はさばけないけれど、魚屋さんにさばいてもらった時に見せてもらったことがある。まるで細長い楕円形の半透明のプラスチックのような、おもちゃの剣のようにも見える、あれは…
…イカの甲だ…。
