『ずいぶん詳しいじゃないかい』
ふん、と鼻を鳴らすガーフ。
「時間だけはあったからね。あそこで結構色々と聞いてたんだ」
「時間はあったって…」
「渡ったのは…そう、ここの時間軸で言えば三カ月くらい前かな。でも実際にあそこにいたのはもっと長かった、ってことさ」
たしかに啓児が学校に来なくなったのもそれくらい前から、である。
「彼らを何世代か見守るくらいの間は、あそこにいたんだ」
「時間の流れ方って、世界によって違うんですか？」
なんとなくそんな雰囲気は感じていたのだけど。
「時間の流れがどこでも同じ、なんてなことはまずないさ。極端なこと言えばあたしと嬢ちゃん、この間でもな」
指を自分、そして未来へ、とぴこぴこ動かして見せる。
「ここですらすでに違いが出てんだ」
「それは感覚でもあり、摂理でもあるわね…難しいかしら？ まあ…そういうものだ、ってことくらいは覚えておいて損はないわね…」
ぴょい、と啓児の寝ているソファに跳び移るガーフ。
『辛くはなかったのかい？ 虐待、とか…』
「そんなことなかったよ。あの部屋には最低限必要なものは全部揃っていた。暴力も何もなかったし、話し相手もいた。…ただ、出歩くことだけは出来なかった。そこだけは不自由だったね」
『…ふん。そうかい』
「だからガーフの考えているような心配はそれほどなかった、ってことだね」
『ああ、そうかいそうかい。そりゃあ…良かったね』
啓児の枕元辺りに腰を下ろしていたガーフだったのだが。そこから、つい、と歩き出して今度は啓児に向かい合うように座っている未来の、背中とソファの背もたれの間にまた無理やり潜り込んでいく。
「…ったく、素直じゃねえなあ…ホント」
くすしさんの皮肉？など届いていないようである。
一度、目を閉じて…また目を開ける。そして横になった姿勢から…探すように未来の顔を見上げてくる。
少し…心臓の鼓動が速くなる。
「話してみるとそう悪い人たちじゃ、ないよね？」
「うん。それは…たしかに」
悪くはないのだ。でも…
「なんかちょっと頑なって言うかガンコって言うか…」
「そりゃそうだろうよ。世界なんてのはそんなもんだ」
立ったままのくすしさん。
「常識が通用しない、じゃないの。常識なんてその世界だけのもの、ってことなの」
こちらはお茶のお代わりを持って来てくれたこのみさん。
「頑な、と思ったってことは…未来ちゃん、あなたはまだまだこの世界の常識に囚われている、ってことね…」
「それは僕もそう思っていたので、僕もそうだ、ってことですね」
「あら？ みんなそうよ。そういうものよ。…ふふ、そういう要素のない旅人なんて…そうね…」
「ああ。そういうのは大抵途中でやめちまうもんなんだ。いつの間にか渡らなくなっちまう」
「渡れなく、じゃない。渡らなくなっちまうんだ。分かるか？ 坊主。お前もそうなりかかってた、ってこった」
「そうね。世界にどっぷりハマり過ぎてもそうなってしまうものね。それはそれで悪くはないのだけど。どこかの世界に住み着いて残りの一生を送る、そんな旅人も結構な数いるのよ？ みんながみんなどこかに行きたがっているってわけじゃないの…」
「ね。渡ったのは…偶然？」
「そう。偶然」
そして何がおかしかったのか、ふふ、と笑みをもらす。くすんだ木の天井を見上げながら。
「でももう二度と渡れないだろうなあ…」
「まず…かった？ わたしが渡って、連れ戻すことになっちゃって？」
「そんなことないよ。あのままずるずると居続けるわけにもいかないしね。何かの…そう、踏ん切りが欲しかったんだろうと思う。本当のところは」
