「ほんと、御免なさいね。ちょっと無理言って美咲ちゃんに連れてきてもらっちゃったの」
備え付けの空色のベンチから立ち上がって…小さく頭を下げてくる。
…えっと。
思わず阿多根先輩と明子さんの顔を見比べてしまう。
「あの」
「あー…言ってなかったけ？ 大曾木明子さん。親戚のおばさんってとこかな、あたしの」
「まあ、ね。もうおばさんはおばさんよね」
頬杖をついて、ふう、と軽くため息をついて視線をそらしてみせたりして。
「つい最近じゃん、おばさんって呼んでも怒らなくなったの」
「そういうものなのよね、うん。年月って怖いわよねえ…ついこの間まで幼稚園でびーびー泣いてた美咲ちゃんが今はこんなだもんねー…って」
呆然？としている未来。正直、どうしていいかよく分からない。
「えっとね…美咲ちゃんのおじいさんの旧姓が『大曾木』なのね。その関係で昔っから仲良くしてたの」
…えっと
「あの、ゲンゾーさんは阿多根って名字なんじゃ…」
「ゲンゾー…さん？」
？という顔で、自販機に向き合っている阿多根先輩を見る明子さん。
「ここんとこはそっちの名前だって。…こないだも会ってたじゃん、ジジイと」
ほい、と缶コーヒーなんぞを渡してくる。明子さんにも。
「あ、そっか…うん、そうだったわね…今はゲンゾーね…うん」
まあ、座んなよ、と自分から腰を下ろして…ぷし、と自分は炭酸飲料の缶を開けたりしている。
「ジジイは入り婿ってやつなの」
「いりむこ…」
もらった缶コーヒーを開けてみる。少しこもったいい匂いが漂ってくる。
「えっとね、あたしのばあちゃん…かな子さんって名前だったんだけど、この人が『阿多根かな子』でこっちの籍にジジイは入った、ってことね」
「そういうのもあるんだ」
少なくとも自分の周りにそういった「結婚して名字が変わった男の人」はいないし聞いたこともないので、ちょっとしっくりしないような、そんな気分。
「うん。まあ…何だろ、色々あったんじゃない？ 知らないけど」
「そうね…色々あるのよね、うん。色々とね…」
「じゃあ…そろそろいいかしら？」
「あ、はい」
と言われても何が何だかよく分かってない未来ではあるのだけど。
とりあえず？立ち上がった二人を追っていくことになる。…いつの間にか明子さんが花束を持っている。
「お見舞いですか？」
「そうなの」
実際、このちょっとしたスペースのすぐ先はナースステーションになっていて、その先には病室がずらりと並んでいる。行き交う人たちも病院用の薄青や薄ピンクのさらっとした衣服の人、それに忙しそうな看護師さんやお医者さんばかり。そんな中に未来たちのような制服の人が入り込むと、どこか違和感…いや、非日常のような複雑な感覚を感じてしまう。ここは、一体、どこなんだろうか…とか。
「ここ。さ、入って頂戴ね」
重々しく横にスライドしていく分厚いドア。その横にネームプレートが一枚あって…
『オオソギヨウコ』様
となっている。
中は個室になっていて…でもそこまで広くもなく。小さな机、それにスツールみたいなカンタンな椅子が二つほど。そしてもちろんベッド。横になって目を閉じたままの女性が一人いて、どこか明子さんに似ているような気がしないでもない。年の頃も同じくらい。
「来たよ…姉さん」
そっと耳元に口を寄せてから、優しく微笑んで、そして…花束を花瓶に生けていく、明子さん。
