…またなんでここ渡っちゃうかなあ…
うっかりマンションの外にでも出てしまったのか、と思われるほど見慣れている印象のある戸建て住宅の陰に隠れていると。目の前を、ぺった、ぺった、と濡れ雑巾でアスファルトを叩いているような…実際にそんな外見でもある…音を立ててここの住人たちが行き来しているのが見える。
イカのひとたち、である。
「相変わらずすごい匂いだね」
「うん…」
今回は二人ともヒト？のカタチをしている。黒い鳥二羽、ではない。…じゃあ前よりも警戒されないんじゃ、とか思われそうだが…？
「うかつに動かない方が良さそうだね」
「…うん」
これがいつもの「あっち」とかならなんとかなりそうな気がしてはいるのだけど（ヒトの姿であってもなんとかできそうな）あの時のこの世界のパニックぶりがどうにも身にしみついている二人でもある。…ここで見つかったらやっぱりなんかヤバそうなことになりそうな…？
「ヒィィィィ…！」
やっぱり見つかった。イカのひとたちの甲高い悲鳴のような声が…。
『…動かないでください…』
しゃがんだまま頭抱え込んでいた二人に、こちらは聞き覚えのある声が。
『…今、目立つのは得策ではありません。お二人とも、渡る準備はできてますか？ とりあえず、どっか跳んでください。あまり時間はとれません…』
ぎゅっと手を握り合う二人。しっかりと目をつぶって…。
『…ガイドします。さ、今です…！』
…ゆっくりと目を開ける。
見渡す限りの草原である。静かに風に吹かれて、そっとなびく草々。ただし…色がない。全てモノクロである。
『…間に合いました。まあ、なかなかレベルも上がってるようですし、これならなんとかなりますか、お二人とも…』
とん、と音もなくイントが未来の右肩の上に。ただし…
「なんか…軽くない？」
『…仕方ないです、まさかあんな事故になるなんて。事後処理に本体はあっちに置いてきたので、コレはかりそめの身体に意識を少し、割いただけです…』
さらっと言うが、なかなかにとんでもないことだというのはよく分かる。
「あんな…事故って？」
『…はい。お二人が渡った直後に空間に突発断傷が生じたのです。時折起きる現象なのですが、規模が規模なので修復がなかなかヤッカイでして…そのために本体は今、かかりきりになっています…』
「わたしたちが渡ったせい？」
『…そうでもあると言えますし、そうでもないとも言えます。渡り、というのはそもそもが渡る・渡られる世界双方に負担を強いる行為なのです。熟練の旅人なら負担も少なく渡ることもできますが…お二人はまだまだ。しかもそんな二人がシンクロして…となるとさらに負担が増す、というものなのです…』
なんとなく、なんとなく未来はオリンピックの跳び込み競技の動画を思い出していた。ハイレベルになるとノースプラッシュ、つまりは水しぶきをほとんど上げることなく跳び込んでしまえる（しかもそれが滑らかで美しい）という…熟練ともなるとそういう風にごくごく自然に渡ることもできるようになる、ということなのだろう、と。
『…自分がいて幸いでした。でないと、ちょっとヤバいことになってたかも…いや、これは聞かなかったことに』
「え？」
「…え？」
『…いや、何でもないです。何でもないですよ…』
何でもないことではないような気もするが、イントはそれ以上は話そうとはしない（やっぱりヤバいことになっていたかも知れない…）。
『…ここからは自分がガイドを続けます。とは言ってもそれくらいしかできることはありませんが…』
「ありがとう、イント」
律儀に頭を下げて見せる、啓児。
『…いや、ホントこれくらいしかできないのです。あとはいるだけ、ということになるので…未来サンの肩の上でのんびりしてます…』
「さあ、今度こそ…行こう福田さん」
「うん」
二人、しっかりと手を握り直す。
「さ…行くよ、母さん…！」
