それを聞くと思い切り首を横に何度も振る。金髪のおさげがそれにつれて何度も輪っかのようにくるくる回って揺れる。
「そんなのだめですう！ 全ての検査の時には乗員乗客全てが船内にいなくてはならない、と宙間検査法第一条第一項に明記されてます！ 無視なんかしたら、私がマズルカ船長を告発しないといけなくなるんですよ？」
「…わかった。わかったから」
「イヤですう…これまで一体何万人の方を告発してきたか…あんまりいい気分じゃないんですよお…」
「泣かなくてもいいじゃない。もう…わかったから。ここにいるから。…さっさと済ましてよ」
ふう、ため息を一つ。傍らのファイルを手にとって適当にぺらぺらと目を通し始める。他にすることもないのだ。
「はーい」
こちらはにこやかに返事をして…腰にくくりつけてある頑丈そうなポーチを開ける。中から色とりどりに彩られた配線と様々な形状をした金具をいくつもいくつも引き出していく。これらは彼女に内蔵されてある検査機器と繋がっているのである。この手の宇宙機だと出荷時にすでについているのが普通で、しかも取り付けが法で義務付けられているコネクタに接続すれば船内の検査が即座に開始されるようになっている。無論、コネクタは許可なく外したり改造したりすればまたぞろ『告発』の対象となってしまう。最近はそうでもないが、船の余分な重量が増えるということで設置当初はブーイングの嵐だったらしい。
しかしこういうコネクタを経由したチェックシステムができてから船内の検査が劇的に早くなったのも事実だ。昔は全部手動でチェックしていたから、検査も大変に時間がかかっていたものだったという。何せ丸一日かかるケースもあったと言うから乗員の忍耐力も並みではなかったのだろう。マズルカだったら逃げ出していたのは間違いなさそうだ。
なお、その後文字通り機械的な正確さを望めるミメットの本格的な軌道上進出もあって、さらなる検査時間の短縮も達成できることになった。が、その分検査対象がめちゃくちゃに増えてしまって今度は待ち時間が増えてしまった、という…なんだか本末転倒な結果になっているのは皮肉、と言えば皮肉ではある。
マズルカが手持ちのファイル全部に目を通して（内容が頭に入ったかどうかは定かではない）、さらにすることがなくて…死んだような目でややくすんだ色になってる配線と様々なタグだらけの天井を見つめて、しばらく。窓の外のすでに見慣れて感動も何もない漆黒の宇宙空間に、とろん、とした目をやって、しばらく。ようやくのことで外行検査が終了した。ベルファがポーチから片手で握れるほどの端末取り出して結果を印字して持ってくる。
「…特に害のある項目は認められませんでした。チェック項目のリストはこちらです。承認なさいますか？」
ここで『いやじゃあ』と言えば再検査か場合によってはこの駐機ドックから退去、ということになる。ただでさえ時間を喰う検査だ。よっぽどのことがない限り承認する。別にどこかの項目で引っかかったわけでもないのだし。
「了解。承認するわ」
末尾にすらすらとサインして手渡す。半券を控えとして返してくる。この半券は数年は保存しておくのが規則なのだが、マズルカに任せるとその辺に突っ込んだっきり忘れてしまう。そこでジルバは封筒を渡してそれへしまえ、と指示するようになった。それでもマズルカがめんどくさがるようならポルカがきちんとしまうまで注意し続けるので、ここんとこは半券をなくさずに済むようになった。これをきちんと守っていないと最悪宇宙機運用の許可を取り消される恐れだってあるのだ。
「それと来月から検疫及び検査の規定が若干変わります」
どこから取り出したのか…よいしょ、と両腕で抱えても余りそうなくらい巨大かつ重厚な冊子を差し出して見せる。ベルファは強化筋肉を使用しているし、何よりここは無重量空間である。いわゆる『重さ』は無視してもいい世界だから抱えようが持ち上げようが、くるくると回そうが蹴り上げようが、どれだけ重いものでも問題はない。問題はないのだが…見た目、どうしても引いてしまう。
「何、コレ…」
「だから今回変更になった規定集です。喜んでください。なんと今回から改定前と改定後の比較表がついてくるようになったんです。これで急な検査もばっちりですね」
とは言っても一体何千ページあるのか分からない。宙間通話会社の電話帳だってこれほどもない。いや、これはすでに冊子ではなくて本とか百科事典とかそういう代物ではないのか。
「……」
電子的に転写された書物やファイルがほとんどだから、こういう活字の書物はめったにお目にかかれない。
「マズルカ船長？」
『量に驚いているのだよ。気にすることはない』
「まあ、そうなんですか？」
わざわざ冊子を宙に浮かせてまで、両手を頬に当ててみせる。ごく自然な動きで媚びと可愛らしさを表現している。…こういう動作がすんなり出てくるあたり、製作者の意図がなんだか怪しいものに思えてしまうのは気のせいだろうか？ まあ…実際はベルファが製作されてから今日に至るまでの年数を年齢とすると…マズルカなどよりよっぽど年上になってしまうのだが。3ケタ代に乗っていてもおかしくはない年数なのではある。製作者が今も生存してるはずもないので確かめようもない。
「…ご希望なら会社の方に郵送しておきますけど？」
「そうしてくれると助かる…じゃなくて、これから第二衛星まで行かないといけないから少しでも荷物は減らしたいのよ」
「あ。そうですね。それではそうしておきます」
ひょい、と小脇に規定集を抱え込む。…いきなり送りつけられてジルバが驚くだろう。
『ところでこれからの作業はいいのか？ 大分時間が押しているのではないのか？』
「…ああああ…すみません、まだまだあるんでした…マズルカ船長、ポルカ様、これで失礼します、またお越しの際はよろしくお願いしますうぅ…」
