『…正装とは久しぶりじゃないのですか？』
サルサはジルバが机の上に置いた、てのひら大のコンピュータ端末のマイクロカメラを通して周囲を『見る』こともできる。この端末を持ち歩くことでこの事務所に『いる』サルサといつでも通信が可能になりデータ通信もできるようにもなる。膨大な情報を瞬時に処理できるサルサの能力はこういう時にも重宝する。
「言うな。あんまり好きじゃないんだ、こういうきちっとした格好は」
『ネクタイ曲がってますよ。右の端っこの方』
「…こうかな？」
『大丈夫です。格好いいですよ』
「言うなって…ったく」
ジルバが端末を抱えて事務所を飛び出したのはそれからすぐのことである。自前の移動手段を持ってない彼ではあるが、車を雇うくらいはしただろうから…そんなに時間もかからずに警備局に着くことができるだろう。
さてその頃タイニィビートでは。
「だーかーら…別にいいじゃん、ンなこと」
「ダメですって。まあったく信じられないことこの上ないですわね。…洗浄は無理でも紫外線処理くらいしたらどうですか？」
居住区Aブロック。マズルカの部屋での会話である。部屋というより壁の一面は安っぽい仕切りになってるだけの居住空間…というほども立派ではない。単なる粗末なスペースとでも言ったらいいのだろうか。一つの大きな部屋を二つに区切った片方なのである。そもそもそんなに大量の私物があるわけもないのでそれなりの部屋があればいいことになる。
「やっとあたしの匂いが染みついてきたってのに」
「何の自慢ですか」
このAブロックは元々の設計でも乗組員用の居住区となっている。ただし、例の軌道交通法とも関連する宇宙機関係の『航宙船舶安全法』によれば乗組員用の施設は最低でも二人分以上設置すべし、となっている。タイニィビート号クラスでも二人分は必要だ、ということになる。これは軌道交通法で定められている宇宙機に必要な人員数（旅客機のみ二人以上、無人機は不可）に則るものでもある。その軌交法では貨物運搬機には人員の指定はない。が…業界内では機種に関係なく暗黙の了解として2名以上に対応するようになっていたりするのだ。
「一航海終えるごとにエンジンは分解整備してるってポルカ様は言ってましたけど。…居住区の中の掃除とかそういうのはやってないんですか？」
「だってめんどいし」
「そんなことしてるから余分なものがたまって行くんですよ。…しかも部屋の掃除も何もしないなんて、ほんと、信じられませんわね…まったく」
何がどうしたのか、と言うと。エイブラがつまむように持っているのはマズルカがさっきまで潜り込んでいた布団なのである。
さっきまで中でマズルカがぐーすか寝てた寝棚のある部屋。一つの部屋を区切ってあるのでAブロック全体で部屋は二つ…ではなくて厳密には部屋数は三つになってしまう。二人分以上の設備が必要なので最初からあった部屋は二つ。が、そのうち一つは区切られて二つになっているので…大きな部屋が一つとその半分の部屋が二つあるのだ。マズルカが寝てたのはその小さい方の部屋の一つ、ということになる。
…なんでこんなややこしいことしたか、と言うと…マズルカはこの部屋の半分を寝場所、もう半分を物置にしてしまっているのである。施設は二人分、ということは寝棚も二つしかないことになる。区切ってしまえば寝棚のない部屋もできてしまう。…そこへ毎回の航海で少しずつ増えてくる荷物…ほとんどはゴミである。何かの包装紙とか書き損じの書類の切れ端とか。衛星の軌道ステーションに立ち寄った時にもらったビラとかオマケとか…かさばらない物ばかりだからこそ、こうやって溜まっていったりするものではある。
区切りと言っても全面仕切ってるわけではなく行き来できるように、少しだけ開いている。そこからのぞいてみると…
「余計な重量物増やしてもいいんですか？ こんなの必要ないでしょう？」
あふれんばかりにガラクタやモノが置いてあるのである。当のマズルカも何がどうなってるのか把握してないんではないだろうか。
「だめだめ、それは、その…必要なものなの、うん。こないだ惑星の軌道ステーションでもらった、美味しいカフェのアイス割引券なんだから。そっちはね、第一衛星の軌道ステーションで今度ラーメン屋ができるって、その…新規開店チラシ」
まさか…把握してるのかい…これ全部。
「どうでもいいですけどね。…割引券はとっくに期限切れてますし、ラーメン屋ももう大分前に開店してるみたいですけど？」
「…ほんと…？」
言われてまじまじと眺めてみる。…たしかに期限はとうに過ぎているし開店予定日なんかはるか過去の話である。
どどん、とヘコんだ顔で床に座り込んでしまうマズルカ。涙は無重量空間では頬を伝わることはない。表面を波打たせた無数の細かい球となって辺りを漂うものなのである。…大体船全体でのゴミはどうにかしないとね、とか真顔で言えるくせに私物関係になるとやけにこだわる、というのも変な話ではあるような気もするが。
「私も手伝いますからまずはこちらから整理しましょう。それから毛布も紫外線処理しますから」
「ああああ…」
「とりあえずはCブロックでいいんですわよね？ あそこの物置に…」
「いやー！ ね、ね、それだけはかんべんしてよ？ これだけ集めるのにどれだけかかったことか…」
「知りません」
どこから取り出したか袋にその辺の紙くずを無表情で（多分違うな、楽しんでるな）突っ込んでいくエイブラ。あんまり乱暴にやると辺りに細かいチリが舞うことになって、後々厄介なことになるのだが…ドアは閉めてあるし、恐らく空気清浄装置をフル稼働させているだろうから、それほど問題はないのだろう。
