「…ジルバに送って何がどうなるってのよ？」
『何もしないよりはマシだろう。他の船の連中も遅かれ早かれ異常に気付く。その前にジルバの見解も聞いておきたいのだ』
こそこそこそこそ。
…コンソールに据えつけられた腕輪に耳とてのひらを近づけながら内緒話をする宇宙機機長、というのもなかなか見ることのできない光景ではある。内緒話の対象となっている当のエイブラが「？」てな感じで首を傾げながら無垢な笑みまで浮かべているのがある意味、いや、色んな意味で不気味ではある。なぜこんな童女のように変化したのか分からん以上、いつ何時「あらあ？ 何を勝手なおしゃべりなさってますのかしらああああ？」とか不気味な勢いで迫ってくるのかも知れん状況でもあるのだ、今は。
しかし…そういった様子もなくエイブラは必死に操縦士席にしがみついている。余裕の笑み、ではない。顔に笑みを張り付かせたような印象。…別に無理に椅子に腰掛ける必要は全然ないのである。実際、マズルカなんぞすでに逆さま状態からの一回転を終えて再び頭を下にして回転しようか…とかそんなことまでしようとしているってのに。
…よく分かんないわねえ…。
そりゃこっちも同じである。しかしマズルカは…ふう、と一つ息を吐く。
「そんなに突っ張ってちゃ、持たないわよ？」
と…軽くキャビンの壁を蹴って、泳ぐようにエイブラに近づいて…そっとその小さな手を取る。意外と…いや、予想通りか。指や腕に余分な力が相当に入ってしまっているのがよく分かる。惑星上や与重力空間と無重量空間では力の使い方がかなり違う。無駄な力は必要ないのが無重量空間の特徴である。そこでこんなに力んでしまっていては後がもたない。このままではすぐに体力を使い果たしてしまうだろう。
「あの…お姐さま？」
「力を入れないで。そう。ゆっくり…そう。あたしに身を委ねて？」
「はい…でも…」
「でもじゃない。ゆっくり…いい子ね。そう、そのまま…こっちへ。ふふ。いい子…」
…って、あたしは何をやってる…？
「お姐さま、エイブラ、恥ずかしい…」
「何を言うの？ 恥ずかしいわけないじゃない。そんなのはほんの一瞬のことなんだから…」
…って、あのね。
「こわい…お姐さま、手を、手を握っていてくださいますか？」
「もちろん。このままだと…」
…危ないっつーの。
実際、手をとっていた（とは言っても引っ張っていたりしたわけではなく肘かけにしがみついていた腕をひっぺがしていただけである）マズルカは、このままいくとエイブラの身体が変な方向、つまりはそのままキャビンの天井にアタマからぶつかるのを危惧していたのである。
無重量空間に慣れていない人間がよくやる失敗の一つでもある。
一定方向へ入った力はそのまま持続する。惑星上なら一定方向への力は必ずどこかで減速して…停止する。その大きな要因の一つは「まさつ」である。モノとモノがこすれる時に起きる抵抗、と言ってもいい。しかし摩擦を起こすために最も必要なものの一つは「重力」だったりするのだ。その重力のないこの空間では摩擦による物体移動の停止はまず、いや、ほとんど、いや、全然期待できない。無重量空間では正しく「一旦動き始めた物体は何かが止めない限り移動を続ける」でのある。
…だからアタマでキャビンの天井に当たって移動を止める、とかそういう事故が起きるのではあるが。
意外と柔らかいエイブラの手をとって、ちょっと軌道修正。つまりはマズルカがアタマから移動しない、つまりはキャビンの天井へ向かって跳んだりしなように気をつけていたのだが…
「あ。痛」
やはりこういうのは一度経験しておいた方がいいのかも、とかそんなことも思ってしまったりする。
「ほら。一瞬だったでしょ？」
「ええ。…これからはお姐さまのお手を煩わせたりはしないようにしますわ…」
…ホントに何をやってんだ、あたしは…。
『何をやってるんだ…ホントに』
「あたしが聞きたい」
ぶるん、と大きく首を振る。当のエイブラはふわふわ浮きながら不思議そうな顔をしている。…この分なら無重量空間に慣れるのも早いか…しかし「前の」エイブラならこんなことはなかったはずである。
時刻的に合わないので他船とのおしゃべりはまだもう少し先になる。それまでにジルバから返信が来ればいいのだが…もちろんポルカもマズルカも惑星上のジルバのところがちょっとやっかいなことになっているとは露ほども知らない。
