「まあ。こちらがオフィスですか？」
「そんなカッコいいものではありませんよ。ただの事務所ですから」
アンヘラを事務所に連れてきたところまでは、まあ、普通である。ジルバは外出から戻るとサルサからの情報をチェックするのが習慣になっている。もちろん常に持ち歩いている端末にも情報は流れてくるのだが、実際に接続してみないと詳細が分からないものというのも実は多い。画像や動画がついてくるとなると容量的にも端末だけでは処理しきれなくなることもよくあることである。
休止状態のメインコンピュータを復帰させる…。
「？」
モニタ上にいくつかのアイコンが表示される。だが、その中にサルサを示すヒスイ色のアイコンがない。辺のとれた丸みを帯びた四角い無地のアイコンである。しかしその色は色数表示の枠なんぞ吹っ飛ばしたような色合いの緑…いや翡翠色なのである。作成者のセンスにもよるものなのだろうが、ジルバは今まででもあんな深くて豊かな色を目にしたことはない。
そのアイコンが…ない。
「あれ…？」
どうしたんだ、と操作しようとして…思い当たる。サルサは非常に人見知りをするのである。初対面の人間とはまず顔を合わせたりしない。いや、顔…と言うより会話しようとはしないのだ。もちろんジルバはそのことをよく知っていて仕事の時でもめったに「彼女」を紹介したりはしない。
しかし今回は事情が事情である。
物珍しそうにあちこち見回したり、決済用書類置き場の浅い箱を、ちょい、とつまみあげてみたりしている女性は普通の女性ではない。警察関係者なのだ。できないことまでする必要はもちろんないが、できるところまでは協力しておいた方がいいだろう。…別にジルバがサルサと組んで昔に非合法なことやってました…とかそういうわけではない。例えば一般人のネット銀行口座から預金かすめ取るとか個人情報引き抜いてその筋に叩き売るとか。やろうと思えば可能だが、二人？ともそっちに興味はないようなので、法に触れるようなことを過去にしたことはない。
…微罪、と言う言い方は正に微妙だが。無許可で政府のサイトに侵入したりとか、法的にややこしい手続きをすっ飛ばして申請したりとか、そういうことはやったことあるのだが。跡を残すような二人？ではないので調べたって分からないだろう。
…一応紹介だけはしといた方がいいかな。
が、サルサはジルバが常に持ち歩いている端末から様々な情報を「見て」「聞く」ことができる。場合によってはジルバに無断で画像データや音声データを残すこともできる。警察署へ行って戻ってくるまで二人一緒に行動していたのと変わらない。つまり、サルサはアンヘラがなぜここにいるか、十分に分かっているはずなのだ。
だから「紹介」というのもまたちょっと違う。アンヘラはサルサを知らない可能性は高いが、サルサはアンヘラを知っている。むしろ「告知」とかそういうことになるだろう。サルサそのものを見ることもできないのだし。
…まずは、ちょっと確かめておくか。
「ええっとリドルさん…」
「アンヘラで結構ですわ、ジルバさん」
「では…アンヘラさん。うちの会社のことはどのくらいご存知ですか？」
すると持って来ていた大きなカバンから薄いファイルを取り出す。ぺらぺらと書類らしき紙をめくっていって…。
「ビートエクスプレス社。ちょうど10年前にカート・クレイマン氏によって設立…現在のスタッフは地上要員のジルバさんと機長のマズルカさん。名目上の社長はジルバさんですのね。保有機体はss03-0538xchw-TB『タイニィビート』、130psクラス」
130psというのはエンジンの出力によるカテゴリである。要は「惑星衛星間専用クラス」であり、現在では宇宙機の主流ともなりつつある。これより低いのが80psクラスで惑星からステーションへの往還機やステーション間のシャトルが主にこれにあたる（打ち上げ式の固体・液体燃料ロケットはまた別のカテゴリがある）。逆に高いのが210psや340psのクラスとなるが…ほとんどが外宇宙用の実験機だったりするのでまずお目にかかれない。中には趣味で自家用宇宙機を340psクラスのエンジンに換装する金持ちなどもいるが、やはりそう多いものではない。
ちなみにpsが上がれば上がるほど税金も上がっていくのは言うまでもない。
「そして…意思転移によって生じたポルカさんもタイニィビート号に乗船中。さらにサルサさんもいるのですね、地上に」
…知ってやがったか…やっぱり。
「形態としてはポルカさんは腕輪、サルサさんは基盤、ということになっていますが…」
淡々と読み上げるアンヘラ。ただし、ポルカとサルサのことを除けばこれくらいの情報はどこからでも入手できる。ビートエクスプレス社だって宙間貨物運送組合に所属しているから、サイトに行って検索すればすぐに出てくる。タイニィビート号のスペックだって一緒に載ってるはずだ。
それでもポルカとサルサはちょっと難しいところだろうか。意思転移で生じた何か、というのは世間一般的には珍しいかも知れないが、全然存在していないわけではないのだ。そういった技術を使える機関や施設もそれなりにあるわけだし。ただ、そういうところが施術者や被施術者の情報をそう簡単に公開するか、と言えば…難しい。さすがは警察の人間といったところだろうか。
「まあ、そんなとこですね…」
ジルバとしてはそんな言葉を口にするのが精一杯でもある。
