「いえ。これをもう少し…やっておこうと思いまして」
技術者席付近でコンソールに指を滑らせている。その姿は変わらずに清冽そのもの。
「デブリ関係？ もう終わったんじゃないの？」
だからマズルカが起こされた、はずである。
「アームの設置はもう終了して各種テストも終了してます。結果は良好…これからマズルカさんに防御幕を展開して頂けばすぐにでもデブリ衝突の可能性は非常に低くなります。これでほぼ完成と言えるでしょう」
「んじゃ、それでいいじゃん。あたしがちゃっちゃか片付けてくるから、あんたは寝ときなさいよ。眠れる時に眠っといた方がいいって」
少しでも寝て気分的にも肉体的にも楽になったのか。珍しく軽い身のこなしでエアロックの方へと泳ぎだそうとしている。
「それが…」
ちょっと困ったような表情。いつも無邪気でひたむきな彼女にしては、こっちも珍しいと言えるかも知れない。
視線をあちこちへ巡らせたりしているのだが…何かを探しているのだろうか。そしてある一点で視線が止まる。
『うむ…どうした』
外見も状態もただの腕輪であるポルカに睡眠は必要ない。妹？のサルサも同様。しかし時々、ではあるが…あたかも眠っているかのように反応が薄くなることがある。ポルカにしろサルサにしろ意思転移される前は人間だったはずなのである。その頃の感覚や記憶（ほとんど残ってないらしいのだが）がそうさせているのだろうか。今もマズルカを起こしてからなんと言うか…居眠りのように反応がなかったのである。
こういった事例は他にも多数報告されている。食物なんぞ摂る必要もないのに『あー腹へった』を無意識のうちに繰り返す指輪とかそういう例もある。もちろんミメットともなるとまた話が違ってくるのだが。
『どうしたのだ？』
機長席にある、いつもの筒。そこへこの深い翡翠色の腕輪ははめこんである。
「あのファイルを解析してみようかと。気になりますし…なんだかうやむやになってしまいましたので」
「ああ、あのファイル…って、ああ、アレね」
デブリシャワーで少し遠ざかってしまった例の『パズル』のことだろうか。
『いや。エイブラよ。もしかしてお前はカギ付きファイルとは別の、最近新たに送られてきたあの動画ファイルを気にしているのではないか？』
それを聞いて、こくん、とうなずいてみせるエイブラなのだ。
「…あー、そっちねえ…はは、そーいうのもあったわよねえ…ははは、忘れたいとこだったんだけどねえ…ふへへ」
こっちはこっちでテンションだだ下がりだったりする。せっかくやる気出していたとこだったのだが、これではまた元の木阿弥というやつかも知れない。
『…何か分かった、ということか…』
「いえ。そこまでは、まだです。でもこちらは動画ファイルですからそれを再生してみれば何らかの結果は出ます。…それに」
『それに？』
「このファイル、今までのファイルと同じ、と言うのも何か変ですけど…同じところから送られてきたような気がするのです」
『と言うことは…これまでのパズルと何か関わりがあると？』
「はい」
『ふむ。あり得んことではないが…今ひとつ確証が乏しいな』
「送られ方が異常なのも気になりました。あの送り方はパズルが最初に送られた時と似ています。かなりの大容量なのに分割もしないし告知もありませんでした」
すう、と息を吸う。
「それに、なんだか傾向が似ているような気がするのです。クセと言いますか…流れと言いますか…」
『それだけでは確定はできまい？』
「はい…」
うつむいてしまう。しかし、思い直したように顔を、上げる。
「でも私はそう思うのです。これを解析することができれば、それが証明となるのではないか、と」
『そうか…そこまで言うのなら何も言うまい。…デブリの方は後はマズルカの作業を残すのみ、だ。他の細かい実務作業は私がやるとしよう。やるだけやってみるがいい』
腕輪のどこかが、きらりと室内灯を反射したような気がする。
「はい！ ありがとうございます！」
『しかし無理はするな。デブリの件がある程度でも片付けば私もそちらの作業に加われるのだがな』
『こんなとこでどうだ？ 船長？』
「…うぇい。じゃあ、何でもいいからそっち、やっといてねえ…」
力なく手を振りながらエアロックの方へと泳いでいくマズルカ。やっぱり気分的に落ち込んでるなあ。
「まあ、体力にだけは気をつけなさいよ。そうね、あたしがカサ張り終えるまでには寝床へ入っときなさいねえ…」
