「うあー…どうしよ」
『マジー、落ち着いて。こっちからもどうにかしてみるから』
「どうにかって言われてもね…」
狭い作業部屋である。もちろんここには船外作業服などない。緊急用の簡易作業服ならある。密閉はされていて呼吸気が一定時間確保できるものではあるが…これで船外作業は無理である。何しろ歩くことくらいなら問題ないが、指はいわゆるミトンにようになっていて細かい作業を想定していない。あくまで緊急用なので想定外の事故に遭った時に着用して救助を待つための装備に過ぎない。
「せめて障壁解除してくんないかなー…」
『分かった。こっちから通信してみる』
船内は有線接続されているが（実際にはその方が安全面でも機能面でも有利だったりする）もちろんキャビンには他の船からの無線接続が可能である。こんな作業部屋でも接続できている…の…だから？
「…ケリー？ ねえ、ケリー？」
部屋の中が暗くなってきた気がする。いきなりモニタが落ちる。それまで映っていたケリーの心配そうな顔が、今は真っ暗な画面と化している。
『マ…な、は…くす…ら……』
「ちょっと、ケリー？ ケリーってば？」
『……た…てば……』
「おーい？」
『…………ら』
「ら、って何よ、ら、って」
それきりで打ち切られたように通信が途絶えてしまう。さらに部屋の照明も全て消えてしまう。
…電源ケーブルも破損かあ…。
通常なら電源も二系統あるからどちらかが破損しても問題はない。恐らく今回はまず第一系統が破損して、次に第二系統へ影響が出た、というところではないだろうか。第二系統への交代はもちろん自動で行われるが、このタイムラグは第一・第二の順番で破損が起きた可能性が高い。その際、何らかの原因で落ち方に余裕みたいなものが出たのだろう。
外からの明りは小さな窓から差し込む星の光のみ。実際、軌道上やこういった航路上では結構明るさを感じるものだったりする。それでも母なる惑星上の文字通り真上で作業する軌道上の方が、はるかに明るい。足下の惑星は様々な色の光を放っているからだ。航路上ではそれなりの光は得られるものの、やはり空間の暗さは無視できないものになっている。
沈黙している作業部屋。
ニンゲンが作業する関係上、ここには呼吸気清浄機が設置されている。人間が放つ二酸化炭素などの炭素系ガス。これは蓄積されていくと人体に悪影響しか及ぼさなくなってくる。そのため室内の空気を循環させて呼吸気を正常に保つことが必要になってくる。
…あー、電源がこうなってるとそれもヤバいか。
当たり前だがその装置も電気で動く。となるとここにあって呼吸可能なのはこの狭い部屋と簡易作業服に標準装備されている分だけ、ということになる。
そのため簡易作業服を装着。頭を覆うヘルメットだけ外して…いざと言うときに簡易作業服の方を使うことにする。それまでは作業部屋の呼吸気をぎりぎりまで使う。
…まずはキャビンまで行かないとね。
ま、どうにかなるでしょ。
そのお気楽な言葉が届いたのか…それとも何かの配剤か。カチャ、と小さな音をマズルカの耳が拾う。彼女から見て障壁の右下に小さな金属物体…ねじか何かだろう、それが当たったのだ。電源が完全に喪失している狭い作業部屋である。音、と言えば自分が吸って吐いている呼吸音と簡易作業服のスレるカサカサといった安っぽい音しかない。
しかしどこからこんなものが来たのか。無重量空間だから素直に上から落ちてきたわけではない。
…なんかどっか整備不良だったかなー…。
こういうのは彼女自身がやってるはずなので、もしそうなら自分の責任になってしまう。またポルカにどやされるなー、とか思っていたのだったが。
…あ、そっか、ここ、手動で開くんだった…。
『…ふう…まったく世話の焼ける…』
『ちょ、ちょっと、ねえ、エイブラ？ ポルカってば一体何やったの…？』
キャビンはもちろん電源喪失などしていないから普通に明るい。メインモニタにはやはり心配そうなケリーの顔と…そしてあっけに取られたようなセラの顔。
「大したことではありませんわ。圧縮空気の一部を抜いてねじを飛ばしたのですわ」
『何よそれ…信じらんない』
「そのままですわ、そ・の・ま・ま。ポルカ様ならどうってことないですわよ」
そろえた指先に半目でふうっと息を吹きかけてみせたりする。お前はどっかの余裕ぶっこいたお金持ちか。
それはともかく。セラが呆れるのも無理はない。圧縮空気は油圧ホースと共に船内に張り巡らせてある。これは作業に必要なものである。例えば何かを動かす時。貨物室のクレーンだったり。無重量空間でもこういったシステムはきちんと動く。ただし、呼吸気にできるほどの量はないから全部抜いて呼吸に助けにしよう…というまでにはいかない。
…ただ、問題は圧縮空気の配線管と外れかかったねじが都合よく障壁の手動制御装置に向いていたか…ということである。
『何、あやつが締めそこなったねじがあったからな。普段ならとんでもないことだが…今回は運が良かったということだ』
