「あーもう、ったく…私、もう、寝ますからっ！ いいですわねっ！」
シフト的にはエイブラの休息時間なぞ大幅に過ぎてしまっている。すでにマズルカの休む時間にまで食い込んでいるほどなのだ。
「んー…おやすみい…」
しかし当のマズルカはやや難しい顔をしてモニタをのぞきこんだまま。
…てっきり『えー？ なんでー？ あたしの時間でしょお？』とかそんな反撃を予想していたエイブラだったのだが。
「おや。どうかなさいましたか…？」
サブモニタの一つである。
下唇に指先を当て、眉間に細かいシワを寄せて。あぐらをかくような格好でその前に浮いている。泳ぐわけではなく、浮いている。これにはちょっとしたコツが必要で、あちこちに漂っていきそうな体の重心をわずかに移動させたり位置をちょっと変えたりすることでその場にとどまることができる。
軌道上で活動する連中なら無意識にできる芸当でもある。慣れるまでは無重量空間というのは相当に厄介なものだが、いざ慣れてしまうとそうでもないらしい。こういった惑星上では無意味？な行動も意識せずにでてくるようになる。
そんなマズルカの背後に回り込んでみるエイブラ。
「むーーーん？ ふーーーん…」
意味不明なうめき声だかうなり声だかが聞こえてくる。
…あ、まだコレやってたんですわね…。
例の「TA」が入力されたテキストファイルのみが表示されてある。全画面表示にしてあって、他の細かいアイコンも見えない。
「ねー、コレ何だと思う？」
前を向いたまま。
「さあ…何でしょうね」
分かるわけない。
「いじってみていいかなあ？」
…何をどういじるおつもりかしら。
「あまり激しくすると、ポルカ様がお怒りになりましてよ？」
が、そのポルカは会話に参加していない。いや、できない。手が離せない（手足はないけど）状況になっているのだ。
例の自動診断プログラム。あれを実行するくらいなら特に問題はないのだが、これまでの無駄な作業への腹いせ？みたいなもんでポルカが独自にブーストかけることにしたのだ。システムに負荷はかかるが、マシンパワーを最大限に投入することで診断のスピードを上げることができる。
もちろん、やりすぎるとタイニィビートそのものがダウンする恐れがある。そのためポルカが全精力でもって監視している。マシンパワーの割り振りや微調整など、人の手でやればかなり難度の高い作業となるが、ポルカなら造作もない。
ただし、集中する必要があるので自身の機能をかなり制限しないといけない。のんびりしゃべくってるヒマなんぞない、ということでもある。
「あいつ、今忙しそうじゃない」
くるっと振り向いて…。
…わあ…なんて悪そうなお顔…。
悪そう、というよりむしろ悪さでもしそうな顔、とでも言うべきか。どっちにしろポルカにとってはあまりいい顔ではないだろう、今は。
「そうですわねえ…やり方にもよりますわね」
頬に手を当てて、エイブラもその場に浮く。
「やり方？」
「そうですわ。いきなりシステムに介入するとか、高負荷な挙動するとか。そういう乱暴なこと考えてらっしゃるなら…」
「ないない。あたしにそんなことできるわけないない」
顔の前でぶんぶんと手を横に振ってみせる。
「…それは…そうですわね、たしかに。お姐さまにそんな高度な真似できるわけありませんものね」
いくぶん失礼な物言いだが、なぜか素直に何度もうなずくマズルカ。
「だからそんなに大したもんじゃないって」
「…一体…どんな方法を…？」
「拡張子を変更してみようかな、って」
それを聞くときっちり自分の体一つ分ほど後ろに跳び下がってみせるエイブラ。惑星上では単純に足で後ろに下がればいいだけだが、ここ無重量空間の船内だとあまり思い切りよく下がりすぎると後ろの壁に激突することになる。宇宙機の壁、というのは計器や配管の塊である。不用意にぶつかれば何か不都合なことが起きる可能性もある。
だからあまり勢いよく後ろへ跳ぶわけにもいかない。かと言って中途半端に跳んでも意味はない。
…その辺をきっちり頭の中で計算して、というのはなかなかに難しい芸当でもある。単純に浮く、ということではないのだし。と言うことはこの娘、常にこういうリアクションを考えながら行動しているかそれともきっちり頭の中で計算し尽したのか…？
その辺は、よく分からない。
