…何だっけ。
マズルカは分からなかったようだが「God is dead.」とも書く。「神は死んだ」という意味である。
…ま、いっか。
再び尻ポケットに突っこんでしまう。そして、とん、と軽く床を蹴って跳び上がる。
彼女にしては珍しく（本当に珍しく）貨物室内のコンテナの保全、という一種の重労働を続けているその頃。
キャビンではメインモニタ内を下から上へと流れ行く文字列の奔流がようやく止まろうとしていた。解凍作業と言っても永遠に続くわけではない。
『そうだな』
ポルカはまだビジー状態ではある。しかしこちらももうじき終わるだろう。が、今はまだ…
そんな中。キャビンに近づく人影一つ。
マズルカはまだ貨物室である。当然作業中。ポルカはこの状態では反応することもできない。となると可能性としてはたった一つなのだが。
「ほほう、これはこれは…？」
ゆっくりと泳いで入って来たのは…エイブラ？
「ふん。ヘタな暗号じゃな。この程度か…つまらんのう」
メインモニタの前。コンソールに向かう。指を軽く組み合わせ、軽く手首を回して見せる。まるで熟練の技術者が準備運動でもしているかのように。
「どれ、ちいとばかり用意しておいてやろうかい」
キーボードの上を指が走る。その速度は…とても目で追い切れるものではない。普段の彼女も相当な速さでキーボードを操る。しかしこの速度は尋常ではない。
さらに。やや猫背の姿勢と言い、目を細めるその仕草と言い…いつものエイブラとはちょっと、いやかなり違った印象を受ける。目の動きや手の動きが全く違う。いつもならコンソールに向かっていても目の端は『何か面白いもんでもないかしらん？』とでも訴えたげにせわしなくあちこちに向いたり動いたりする。が、細めた目のその視線は今はモニタを向いたまま、微動だにしない。
アンヘラが呼んだ『ユリアーナ』の名前。そして『ゾラ』の名前。前者があの繊細で可憐なエイブラの姿だとするなら…後者はいつものこまっしゃくれた姿なのだろうか。すると…今のこの姿のエイブラは何者なのだろうか…？
『ん…む…』
ポルカの作業がそろそろ終了しそうだ…。
「おや…まずいのう」
一段とその速度を上げる。
「うむ…よし、これでいいじゃろ…」
ポルカのビジー状態を示す赤い灯りが何回か点滅して…やはり軽く点滅しながら緑色へと変化する。いつものポルカの状態である。
『…システムは…正常か…』
それを見届けるように、エイブラはそっとその場を離れる。
「…ついでじゃ」
離れ際に何度か、軽くキーボードをいじって去って行った。
『…？？？ …誰か…いるのか…？？』
『…マズルカ？』
「あ。なんだ起きた？」
貨物室の底の底で、軽く額をぬぐう仕草をして見せるマズルカ。実際にはそんなに汗なんぞかいているわけでもない。空調設備は万全である。
「も少ししたら戻るから…よい、せっと…」
『…何をしているのだ？』
「何って、作業。荷物の保全」
…しばし、沈黙。
『何があった！ 私がビジーの間に何があった！ マズルカ！ お前何をした！』
「何って…失礼だわねえ。あたしだって作業くらいするでしょ？」
『そりゃあ…そうだが…太陽風に…異常は…ないか…』
「ホント失礼なんだから。こら…せっと！」
コンテナのフタを閉じる。ある程度の作業は終了したようだ。…ポルカではないが、何かどこかに異常があったと疑われても不思議ではない。それほどさっきまでのマズルカは真剣に作業していたのだった。おかげ貨物室が片付いたこと片付いたこと。
『お前、ずっと作業していたのか？』
「？ そうに決まってんじゃん、失礼ねえ、ホント」
『一度も戻ってきていないのか？』
「あんたがそういう状態になってからは、ね。それまではキャビンにいたわよ」
