最初は音声通話で、確認してから映像も追加、というのはこういった技術業界では暗黙の了解となっている。音声や映像で個人的にも通信し合う、よく知った間柄でもこういったやり取りは必ず行うのが通常である。
相手が社外秘など、あまり人目に触れさせたくない案件を抱え込んでいて正にその作業中、なんて場合もあるからだ。だから場合によっては音声通話のみで要件を済ませることもある。最後まで実際に会うこともなく相手の顔を一度も見なかった…ということ例もないこともない。あるいはメールや通信アプリで済ませることもよくある。この方が実際には楽なことも多い。余計な気を使わないで済むし。
ジルバがOKを出すと、ウィンドウには細面で度の強そうな眼鏡をかけた若い男性が映し出される。どことなくジルバに似た雰囲気である。やせ型で、ちょっととっつきにくそうな、マニアックな雰囲気。
『もうそろそろ規定の時間かと思いましてね…』
「トム。いいよ、いつもの通りにやろうや」
トーマス・ハマー。材質開発企業マーレ社開発主任である。
『はは。そうだね、その方がこっちも楽だよ、ジル。例の圧縮混合金属のことなんだが…』
圧縮混合金属。用途は多岐に渡る。天然下には存在せず、人為的に作成された「合金」の一種である。
通常の重力下でも作成は十分に可能。なのだが…無重量下で作成するとそれがどうなるか、はまた別の話になる。端的に言えば物質の質量を無視できるので熱による対流が起きない・混合具合にムラが起きにくくなる・などの利点がある。無重量状態の方が効果の期待の「幅」が広がるので無重量下での作業を望まれることも多いのだ。無重量でないと作成できないタイプだってある。
が、無重量と言う特殊な状況を惑星上など与重力下で作ろうとすると、ちょっとややこしいことになる。できないわけではない。不可能ではないのだが…一番カンタンなのは自由落下させることである。遊園地などの遊興施設にあるアレである。好きな人は大好きだが嫌いな人には非常に嫌悪されるアレである。軌道エレベータの操作系を切ると似たような状況になる（大変に危険だが）。成層圏辺りから航空機を自由落下させてもいい。もちろん継続時間はごくわすかなものとなる。そんな曲芸みたいな実験に意味を見出すのは、ちと、無理である。
もっとも。今は軌道ステーションがあるからそこの無重量エリアへ持って行けば誰でもカンタンに実験できる。実際、中等学校ではこういった「無重量下実験」を初期の授業でやったりする。惑星軌道上にある船で与重量装置のないもの…タイニィビート程度の小型船…ならいつでも無重量状態だから、頼んでそこらにあるのを使わせてもらうという手もある。軌道ステーションが今ほど発達していない頃にはこういった「無重量下実験」できる機会は非常に限られていたのだったのだが。
ただ、トーマスのやりたいのは「無重量下で運搬した場合の影響」なのである。こういった産業絡みの実験は相当前にやり尽されている観があるが、それでもデータが多いに越したことはない。こっちが望む状況や条件通りの資料や論文が見つかるとは限らない、という事情もある。
そういうことなら学術機関に正式に頼む、というのが最も「安心」な方法なのだが…それなりの額と時間がかかる。じゃあ、前々から知り合いのジルバに頼んでみようか、と。前に似たような実験に複数回付き合ってもらっている。データ処理に関してはポルカはもちろんサルサもいる。全くの素人ではないのだ。それでも当然タダで…ということではない。ちょっと豪華なメシとマズルカにも一杯おごることになっている。
この辺が「貸し借りで動いている」ということでもある。ウラ、というやや悪い言い方もできるが、どこの業界もそんなもんである。正式な契約や依頼よりもこういった「知り合い同士のなあなあなお願い」で結構動いていたりする。そこへ四角ばった「そんないい加減は許すべきではない」的な発想を持ち込まれると…またややこしいことになるのだがまたそれは別の話である。
『来月くらいかな、インナリウスへ行けるのは』
「その頃にはマズルカも地上かなあ…」
『へえ？ 珍しいね。彼女がこっちに下りてくるなんて』
「何もなければ、だよ。まあ、軌道ステーションだったら確実に会えるけどね」
『軌道上かあ…最近行ってないねえ…』
「あまり頻繁に行く場所でもないしねえ」
営業職ならともかく。技術職であるトーマスと、運搬会社とは言え実働はしないジルバにとって軌道上とはあくまで「出張先」である。
『はは。まあいいや。…例の件だけど…マジーは覚えてるだろうね？ もうそろそろ時間だってこと？』
「マズルカは忘れててもポルカが思い出させるだろうよ」
『違いない。彼なら正に時間通りせっついてくれそうだ』
…アレもいるしなあ…。
変なことになってなきゃいいが、とかそんなことも思う。今のところ緊急を要する連絡が入ってきてはいないので、多分…大丈夫だろう、とは思うのだが。
『ところで』
少し、真面目な顔になるトーマス。
「…どうした？」
モニタの中から真っ直ぐこちらを見てくる。机の上に置いた手を軽く組んでやや微笑。
『その人は…新入社員だったりするのかい？ 良かったら紹介してくれないか？』
