「どうって…何よ？ そんなの似たような名前の入れ替えっこが起きただけじゃない。偶然よ」
たしかにこれだけではこの二人に何らかの関係がある、と言い切れるはずもない。どちらもありそうな名前である。
「じゃあ…あなた、ジルバ氏の本名知ってるの？」
「本名？」
「ファミリーネームやセカンドネームよ。少なくともわたしの知っている限りではこの国に籍を置く者でファーストネームしか持たない人間は存在しないわ」
「それは…」
「ジルバ氏だけじゃないの。第二衛星に向かって航行中のマズルカ氏は？ 意思転移によるポルカ氏とサルサ氏は？ この二人の元の人格は？」
「ママ…？」
顔色に「副署長」が混じってくる。アンヘラも「娘」として対応しきれなくなっている自分を感じて…カップをそっと置く。
「業界が業界だから偽名や変名、それに通り名に二つ名なんて当たり前よ。でも…ここまで徹底的に素性を隠しているのは妙よ。そうは思わない？」
両肘をついて、顔の前で両手を組む。その表情は警戒と思案と…そして心配が強く出ているようだ。
「ママ…」
「意思転移そのものは違法ではないわ」
デスクの引き出しからファイルを引っ張り出す。
「法的には、ね。かつては倫理上の食い違いから暴動めいた騒ぎまであったけど今はそうでもない。…なぜか分かる？」
「成功率が低すぎて実例が少ないから。ここ百年くらいでそれなりの数実験や手術が行われてはいるけど、100%成功したってわけじゃないから…でしょ？」
「そう」
ファイルはそれほど厚くはない。中には数枚の書類が納められてあるようだ。そのうちの一枚を抜き出す。
「そんなある意味レアで危険とも思える技術だから成功例はもちろん、実験例だって人目につくわ。医学界でも技術関連でもね。完全に秘密にできるとはちょっと考えられない」
その一枚には箇条書きになった文章…文字が並んでいるようにも見える。
「公的に確認された成功例。報道されて有名になったケースからごくごく身内だけで行ったとされる小さなケース…できる限り集めてみたわ」
「…この中にポルカさんやサルサのケースはない、ってこと…？」
その一枚を渡され、さらにもう二枚渡される。箇条書きになった項目数は相当にあるが…それにしても。
「それっぽいのは見当たらないわね」
「でも…！」
「そう。全部完全にウラが取れたわけじゃない。記録上だけ、ウラなんか取りようのないケースもある。噂話レベルのもある。だからポルカ氏とサルサ氏のことがこれに載ってない、とは言い切れない。…分かってるわよ、あなたの言いたいことくらい」
ふう、と息を吐いて肩をすくめて見せる。
「でもね。それでもどこかが怪しいのは変わらないの。これはカンなのだけれど」
「警察官として？ あたしのママとして？」
「両方」
さらに数枚のファイルを引っ張り出す。どれもこれもさほど厚くはない。
「意思転移はまだまだ未完成の技術よ。人格を完全に移せるとは限らない。どこかに欠損が起きることもあるし、失敗して人格が完全消滅することもあるわ。リスクがとても高い。…それなのに施術そのものは今でも行われてる」
渡されたファイルには意思転移が行われた件数からよく行われる地域、専門にしている企業名、施術の行われた病院など各種データが満載である。
「なぜかしら？」
「場合によるからじゃない、そんなの。事故なんかで身体が不自由になって…ってケースが一番多いんでしょ？」
「他にも老衰寸前の人が…なんてのもあるわ」
「いつの時代もそうじゃない、人間なんて。代わりの身体があるんならどんな高額でも払う、なんていかにも人間らしいわ」
「そう。人間らしいわね。こういうこと考えるの。…ここからはわたしの見解よ。そう思って聞いて頂戴」
「…うん」
「確証も何もないの。わたしのカン。それだけ。…いい？」
「うん」
アンヘラは足を組んでソファに腰を落としている。組んだ膝に軽く手を添えていたのだが、その手に知らず知らずのうちに力が入る。
「分かった。ここだけってことで…聞く」
「まずクレイ・カートマン。こちらはすでに死亡が確認されているわ。医師の所見から埋葬許可証まで書類も残っている。…数百年とかそれくらい前になっちゃうのだけど。直系の子孫は確認できなかったけど傍系の傍系の一族がいることは分かっているわ。最も、彼らはクレイのことは何も知らなかったけど。…そしてカート・クレイマン。10年ほど前にビート・エクスプレス社を創設。…こちらはこれ以上の記録なし」
「……」
「クレイの方はミメットにとっては生みの親みたいな存在と言ってもいいわ。そしてミメットの技術は意思転移の技術とも深く関わっている…」
