TheRootSeller014「休憩時間 2」

TheRootSeller014『休憩時間 2』

　夜明けは風の時間でもある。

　山の中やら草原の端っこやらで野宿することの多いドリスはよく知っている。
　暖炉で囲む暖かい夕食が、柄にもなく心に浮かんでしまって、心地よい堕落を思う夕闇の直後。ふと目を覚ましてみると枝やら葉っぱやら何やらが降りしきっていた夜中。月も出ない晩にだけ鳴くキシミツグミの、その名の通り闇の奥底からきしみながら響いてくる声が恐ろしい夜半過ぎ。そして夜の黒の中で朝日のぬくもりがとても待ち遠しくなる夜明け前。
　逆にそういう思いも何もない、無心のまま、虫のすだく声だけで素直に眠りについてしまった夜でも。
　夜が明ける寸前は一気に寒くなることもある。それと前後するほんのひと時。
　どれだけ穏やかな晩でも夜明けには風が吹くものである。そして音もなく夜は明ける。これは有史以前から変わることのない万物の営みの、ほんの一部。

　いつものようにファイーナはどこかへ行ってしまっている。こんな夜に街道をうろつく奴などいるはずもなく、人の気配もない。
　山越えの街道の、脇へそれた森の中。高い木がいくつか寄り添っていて、枯葉の積もった地面。簡単に朝露をしのげる程度の簡易天幕を手に入れたものだから、ドリスはその中で横になってみていた。ここからだと頭上に広がる暗い空も見ることができるし、薄気味悪くなるほどに静かな街道の歩き固められた地面も目の端に入ってくる。月もないのに視界はいい。
　簡易天幕と言っても大きめの傘を広げたようなもの。それほど頑強な作りではない。
　…まさか潰れたりしないよね。
　新品ではない。マキナメキーナというウェルトランドでも有名な雑貨街で見つけた中古品である。東西大街道が貫くその町は、中古品はもちろん新古品などの様々な素性の雑貨が集まることでも知られている。ドリスもちょくちょくお世話になっている町だ。
　使わない時は小さく折り畳めますからおすすめですよ、ルートセラーにはぴったりですね、などと言われて銀貨一枚で購入してみた。広げてみると金属でできた三本の支柱が楕円形の皮の幌を支える形になっていて、お椀を伏せたような、その幌の中に潜り込めるようになっている。寝袋や毛布を敷いた上にかぶせて使う。しかしドリスの身長だと肩から上か膝から下がどうしてもはみ出してしまう。夜更けにここをねぐらに決めて、足だけ出して寝てみようとしたのだが…どうにもうまくいっていない。もぞもぞもぞもぞ動く羽目になっている。だからほとんど眠っていない。

　…あ、星だ。
　今度は頭だけ出してみた。葉の散った、かすかに揺れる黒い木々の枝の間を縫うように、星々のきらめきがこぼれ落ちてくる。歩きながら見上げる星空は、かすかなまたたきに暖かみすら覚えてしまうものだが…こうやって見上げる星空はかっちりと定められた額縁にきっちりと納められ厳然とたたずむ絵画のように、バカ正直なまでに丁寧な光を投げ下ろしてくる。歩きながら見る行書体の星空もいいが、こういう楷書体の星空も悪くはない。
　しかし、夜が明けてしまえばこの星空も見えなくなってしまう。すでに星の色は淡い。日の光が増してきた証拠。

　……

　ふ、と風が胸元の幌を揺らす。…なんだかイヤな予感がするなあ、と思ったその瞬間。
　たいした風ではない。普通に出会っても髪の毛を揺らす程度の風ではあるのだが。それでもそんな風が間断なく、少しずつ簡易天幕を揺らして、揺らして。小さく揺らし続けている。
　…あ。
　簡易天幕が飛ばされてしまった。本当に、強い風でもなんでもなかったのに。支柱が幌に包み込まれるばさばさというくぐもった音がした、気はする。それが何回か繰り返されたような気もする。どこかの木の幹に当たった音もした、ような。
　それよりもいきなり自分の前の視界が開けてしまった…そっちが気になる。しばらく身じろぎもせずに薄墨色の空を見上げていた。
　やがて…ただ何もなしに寝っころがって空を見上げているだけの自分に気づいた。なんだか自然に笑みまで浮かんできてしまう。飛ばされた簡易天幕の行方は…もう知らない。街道をごろごろ転がりながらどっかへ行ってしまったのかも知れないが、こんな有様では使いようがない。マキナメキーナで売っている商品は当たり外れの差が大きいのでも有名だ。

　小さく舞っていた風は軽くドリスの周りを巡って、消えてしまった。
　その風に引っ張り起こされたようにドリスも半身を起こしてしまう。まだ夜の青と夜明けの赤が混じった、紫の気配しかない、街道脇の森の中。本当の夜明けまで…もう少し。旅人が行き交うには…まだまだ。

「ふう」
　夜の闇を打ち払うようなため息を一つだけ。本格的に日がのぼればファイーナも戻ってくる。これから寝床こしらえて寝直すのもなんだし。もうちょっとだけこのままで…それから水汲みに行って、お茶でも沸かしてみて。それから…今日は夜明けの方へ歩いてみるのもいいかもね…。