TheRootSeller 外伝 1 「二人の未熟者」　[8]

「は。何言ってんだ。そんなバカなことがあるはずないだろう」
　ハウズは軽く笑い飛ばす。
「いや、お前、これ見てみろよ。ほら、俺の影はここにあるだろ？」
　とロッツは青ざめた顔のまま、あの女の子がやったようにドアからカウンターまで歩いてみせる。もちろん彼の影はランプと彼の体を結んだ延長線上を移動していく。
「な？　だけどあの子にはなかったんだ…フランちゃんも見ただろ？　な？」
「いや…私もそこまでは…気づかなかったけど…」
　初めてのお客さんで応対に精一杯だった、が実情だろう。

「おめえ、見間違えたんだよ…」
「いや、ほんとだって！　なかったんだってばよ！　なんだったんだ…あの子…なーんか変な感じだったし…」
　そこまでうめくように言って…二人の顔を見る。半分くらい軽蔑の混じった目で見るハウズと、よく分かっていないらしいフラニチカ。
「…ってやっぱり信じねえよなあ…くそ。まあ、いいや！　俺、帰るわ」
「待てよ。俺もそろそろ帰るから、そこまで一緒に行こう」
「は？」
　何言ってんだ、という顔でわざとらしく手を耳に添える。
「お前はフランちゃんといろよ。マルガレーテ婆さん、まだ遅くなるかもよ？　どうする？　さっきのあの子が仲間連れて戻って来たら？　かわいそーに…フランちゃん、一人ぼっちだぜ？」
「…何言ってんだ。俺は明日の仕込みもあるんだ」
「ああ、それだそれだ。お前の親父さん、明日は休みにするって言ってたぜ」

「本当に、何を言っている？　おめえは…」
「いや、明日は市場休みじゃねえか。最近不景気だから急ぎの仕事もないし…ドインゴの仕込みも必要ないってさ。だからだよ」
　ドインゴとは染物に使う植物のこと。青に染まるが、使い方によっては深い紫になったりもする。染物には欠かせない植物だ。
「でも俺は…！」
「いいから、いいから…こんな可愛い子と一緒にいれる機会なんかそうないぞ…んじゃっ、そーいうことでっ！」
　何か言いかけたハウズの機先を制するようにドアから出て行ってしまった。

　なぜかフラニチカは面白かった。笑いをこらえるのに必死だった。
　あれだけ不機嫌そうだったハウズがあわてたりして…見たことのない表情だ。
「ねえ。ご飯、食べていくんでしょう？　マルガレーテさんまだ遅くなりそうだし」
「…え？」
　カウンターの席を立つと、天井と棚のランプを消していく。普段は老婆がやっている作業だ。わずかに背が高いくらいの彼女でも楽に天井のランプにまで手が届く。
　手にしているのはカウンターにあったランプのみ。
「かまどのところに夕飯があるって、書いてあったの。一緒に食べよ、ね？」

　店には二つドアがある。一つは外から出入りするドア。客もここから来ることになる。
　もう一つが老婆が住む部屋へのドアだ。地下室へのドアはカウンターの後ろの床に作られているので、正確には三つある、と言うべきかも知れない。
　かまどがあるのは老婆の部屋の隣。小さな場所だが、それに見合うようなかわいらしい一人用のテーブルが置いてある。老婆が食事に使うものだろうか…？　それにしては片隅に椅子が三つほど重ねてある。さらにどこかへ続くドアが一つ。
　…一体どんな造りになっているのか…謎の多い店ではある。

　そうっとかまどのある小さな部屋に入ってみる。かまどには何か入っているらしい鍋が、そしてテーブルには布のかかった皿が一枚。こんもりと盛り上がっているから何か乗っているようだ。
　…どこか懐かしいような…嗅いだことのないような。そんな匂いに満ちている。
　店とは違って一面が大きな窓になっている。薄手のカーテンがかかっているが、外は月夜のようだ。白い光が涼しげに差し込んでいる。
「貸せよ」
　仏頂面のままハウズはフラニチカの手からランプを奪うようにひったくる。
「俺がやる」
　ランプの火からかまどに火を移し…鍋を慣れた様子でかきまぜる。ランプ一つと月明かりしかないのに、どこに何があるか分かっているような動作だ。
　スープのいい香りが漂ってくる。空っぽの腹に、どどん、と響いてくる。
「……」
　彼女がそのまま突っ立っていると、テーブルと積んである椅子の方を乱暴に指す。…座っていろ、ということらしい。