そろそろあきらめようかな…と、何度も曲げてり伸ばしてしたりしていた腰を伸ばす。
　…もう、いいでしょ。なかったってことにすれば。
　ノニイ平原はすでに暗闇が降り始めている。もうラムタクネ山脈の残雪もかすんでしまって、雪色と闇が混じって薄い灰色みたいな色に見える。
　ラムタクネ山脈を東に迂回する小さな街道がある。それを辿っていけばビルマコッチャに戻ることができる。普通ならビルマコッチャから山脈を避けるように移動する街道を逆に戻るわけだ。フラニチカがここに来る時もそれを使っていた。
　その他にも数え切れないほどの街道がビルマコッチャを貫いて、始点にして、終点にしている。『問屋分岐点』と呼ばれるゆえん、ではある。

　小さな名もないその街道に戻る。来た時とは違ってさびしい気持ちになる。
　夕方を過ぎてしまった街道は静かだ。すれ違う人もいないし、追い越して行く人もいない。夜になる前にさっさと宿をとるか野宿を決め込むか…そんな旅人は多い。もちろん、夜通し歩く旅人もいる。しかしこの街道にはそういう人はいないようだ。森閑とした土の道が彼女の前に続いている。

「あれ…フランちゃん？　なんでこんなとこにいるのさ？」
　…後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。振り返って見ると…暗がりの向こうから誰かが走ってくる。
「え…ロッツさん…？」
「やだなあ、君と僕の間でそんな『さん』付けだなんて…」
　となれなれしく肩に手を回そうとして…。
「…お兄ちゃん…。知らないよ？　ハウズ兄ちゃんにぼっこぼこにされても？」

　ひょい、とロッツの後ろから顔を出したのはフラニチカよりもまだ幼い女の子。
「ふっ…お兄ちゃんもまだまだね…しっとにくるったおとこのひとが何をしですか、分からないなんて…」
　大げさに肩をすくめて片手を軽く振って見せる。…どこかで見たようなしぐさではある。
「はぁい！」
　気軽にそう言うとフラニチカの手を握ってぶんぶんと振る。彼女より少しだけ、背が低いだろうか。
「あたし、リッツって言うの。…あなたがフランさん、ね…うわ、すっごいサラサラの金髪…いいなあ…」
　いかにも人馴れした様子ではある。たくさんの人が来るビルマコッチャならではなのかも知れない。ぐるっとフラニチカを見回して…後ろに回ると背伸びして髪の毛を触ろうとしている。
「あ、あのね…」
「なんかびみょーな香りがするんだけど。香水とかつけてるの？」
「…たぶん虫除けの匂いだと思うけど」
　自分の袖を軽く嗅いでみる。付けた当人は慣れてしまって気づかないが、ピレスムの花のエキスは甘酸っぱい匂いがする。香水のようにも感じるかも知れないが…普段は香水など付ける習慣のない彼女ではある。商品の判別の邪魔になるからだ。
「フランちゃん、こいつ、俺の妹なんだけどね…おい、リッツ、いいかげんにしろよ。早く帰らないと夜になるだろ？」

　小さな街道を三人連れで歩くことになる。もう太陽はほとんどが西の地平線に沈んでしまって…あたりは濃い青色に染まってきている。じきに真っ暗になってしまうだろう。
　月があればもっと明るい。だが、まだ暗闇と薄い雲に隠れてしまっている。その静かな明りが力を発揮するにはしばらくの時間が必要だろう。
「なんであんなとこにいたのさ？」
「私はお客さんの依頼があったんだけど…ロッツ君はどうして？」
　『君』で落ち着いたらしい。
「それはねー…これ、これを父さんが使うからなの！」
　ロッツを押しのけてリッツが自慢気にバスケットから取り出したのは、細長くてつやつやした肉厚の葉。
　まるでそのまま木からもいできたように緑が強い。
「やっと見つけたのよー…どう？　これを窯の薪に混ぜるとなんかパンのやきあがりがちがうんだって」
　それを受け取ってわずかな明りに透かして見る。いつだったか…ジロドワに見せてもらった葉と同じだ…。
「…トシンナの葉…？」
「すっごーい！　なんで分かるの？　ねえ？　あたしだって最近ようやく区別がつくようになったってのに？」
「だって…この付け根がこんなにきれいなのは他にないし。…これって地面に落ちてたんでしょう？」
「うん」
「枯れ葉でもないのに。こんな時期にあるのはトシンナの木くらいだから。生え変わる木なの」
「…はえかわる？」
「新しい葉ができると古い葉が落ちるようになってるの。縁起がいいって話だけど」
「へー…すっごーい、すっごい。さっすがー」

「お兄ちゃん、るーとせらーってすごいねー」
「ああ、まあな」
　うつむいた顔で歩くロッツ。妹の言葉には耳を貸していなかったようだ。
「…それはいいんだけどさ、フランちゃん」
　ため息を一つ。
「え…？」
「正直なとこさ、あの野郎…ハウズのこと、どう思ってる？」


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