TheRootSeller 外伝 1 「二人の未熟者」　[18]

　あれから皆でノニイ平原から帰って来た。マルガレーテ婆さんは何も言わずに抱きしめてくれた。…あたたかかった。
　フラニチカも夢中で抱きしめた。お互い何も言わなくてもよかった。

　ロッツとリッツは明日も早いから、とあくびをしながら帰っていった。
　ハウズは…。
　後ろを向いたまま、軽く手を挙げて…それっきり何も言わずに家に帰ってしまった。
　それでも彼女は構わなかった。小さく、小さく手を振り返して…振り向いてもくれなかったけれど…なぜか、満足だった。

「あれをごらん」
　皆を見送って…小さな寂しさを感じていると、老婆が彼女の肩を抱きながら店の看板を指した。古代文字が並んでいて彼女には読めなかったものだ。今も暗くてちょっと読みにくい。
「何と書いてあると思うね？」
「…さあ…」
「『一期一会』と書いてあるのさね。遠くから来たお坊さんに書いてもらってね…もう何十年も前のことさね」
「いちごいちえ…」
「今会ったあの人ともう一度会えるとは限らない。でも明日には新しい出会いが待っているかもしれない。人生はそんな出会いと出会いが繋がって出来上がっている…だから一度一度の出会いを大切に、ってね」
　老婆は静かに微笑む。それは今まで自分が出会った人たちを思い起こしているかのようだった。
「出会いが…繋がって…」
　彼女はしばらくその看板を見上げていた。月明かりで霞んでしまっているその汚れた看板は、なぜか輝いて見えた。

　その後はすぐに死んだように眠ってしまったので、フラニチカが起きたのはもう夕方も過ぎた頃だった。

「はいこれ。ご注文のスプーヤ草」
　他に客もいない夜中少し前。
　まるでフラニチカが店に出るのを待っていたように女の子は店に来た。大きな真っ赤なリボンは相変わらずゆったりと揺れていた。
　フラニチカがスプーヤ草を全部手渡すと…くしゃっと顔をゆがめた。
　頬を伝う涙がきらりと光った。
「ありがとう。お姉ちゃん…」
　手にしたスプーヤ草を軽く撫でるような仕草をする。すると…煙が一筋、女の子の後ろに渦を巻いて現れた。そしてまるで前からそこにいたようにあの女性が姿を現した。
「まま…」
　女の子が抱きつく。女性は声にならないようで、何度も何度も女の子の頭を撫でて抱きしめていた…。

「お代は…いくらになるかしら？」
　鼻にかかった声で女性が聞く。
「結構です。そのままお持ちください」
「でもそれでは…あなたにも迷惑をかけてしまったのに」
　フラニチカもなぜか泣きたくなってきていた。昨日の涙とは全然違う涙だ。しきりと喉から込みあがるそれを…笑顔で抑えた。
「いいんです。たくさんのものを先に頂きましたから。先払い、ということで」
「…ありがとう」

「さあ、お帰り。ここはあんた達が長いこといられる場所じゃあないさね…」
　奥から出てきた老婆が諭すように優しく声をかける。鼻をおさえながらうなずく女性…。
「お姉ちゃん…これ」
　ととっと歩いてきた女の子が…一本だけスプーヤ草を返してきた。わずかに冷たい指先が触れたが、嫌な感じはしなかった。
「…？」
「お姉ちゃんに、いま、ひつようだと思うから…あげる」
「…うん、ありがとうね」
　柔らかいその花をそっと手の中で転がす。潰さないように気をつけながら。

「…フラニチカや…」
「あ、はい」
　老婆にせっつかれてあわててスプーヤ草を懐にしまう。
　母娘はそんな彼女に笑顔を送ってくれている。しっかりとお互いの手をつないだまま。
　彼女も、にこり、と笑って頭を下げた。
「ありがとうございました！　これからもごひいきにお願いします！」