TheRootSeller 外伝 2 「我が思い、翼となりて」　[2-4]

「和上」
　いつの間にか岩のような坊主が後ろに来ていた。右てのひらに左こぶしを打ち当て、軽く頭を下げた礼をしている。
「そろそろご準備を…」
「わあってる、わあってる…」
　さすがに追い払うわけにもいかないようだが。
「ち、うっとうしいなあ。おい、ドリス」　
「何よ？」
「おりゃあよ、見てのとおり忙しいんだ。話ぁ、ドルトンに聞いてくンな。野郎にゃ全部話してあっからよ」
「誰よドルトンって」
「ああ…おう、あすこにいる得度前の奴だ。…おい、ドルトン！」
　その怒鳴り声に、ぼうっと寺院の木の屋根を見上げていた男が振り返った。まだ正式な坊主ではないようだ。『得度』を受けた坊主は髪を全て剃り落とし、本来の名前を捨てて正式な名前をもらう。彼はまだボサボサの髪の毛がついたままだ。
　…あれ？　なんで？
　昨日火を借してくれ、と言ってきた男だ。

　和尚が手招きすると素直に走ってくる。
「おう。こいつが前に話したドリスだ。こいつにあのことを話してやってくれ…んじゃ、頼まあ！」
　それだけ言うとさっきの坊主と一緒に走って行ってしまった。法衣の裾をからげて走るその姿は…威厳もへったくれもない。
「相変わらずだなあ…」
　ドリスは呆れていいのか笑っていいのか分からない。
「ええと…ドリスさん、ですか？」
「ええ。ドリス・アンフェルン。ドリスでいいわよ」
　差し出された手を握る。包み込まれそうな大きな手に、少し、びっくりする。が、そういうことはあまり気にしない性格のようだ…どこか、のんびりと聞こえてしまう声を返してくる。
「私はドルトン・アル・カンジュールです…ドルトン、と呼んでください」　
　…なんだか体中からヤニの匂いがしてきそうだ。別に寺院の中は禁煙ではない。煙草というものがそれほど普及していないせいもある。が、それにしても…いまだにくわえたままのパイプから匂いと煙が消えない。
「で…？　話って？」

　実はここに来る前、サウザムランドのとある薬協でドリスに伝言が来ていたのだった。
『話がある。戻ってこい』
　もちろん差し出し人はあの和尚。ルートセラーは旅に旅を重ねているからどこにいるのか分からないことの方が多い。薬協はそういう時にも利用される。家族や知り合いからの場合もあれば、ルートセラー同士の連絡、あるいは当てのない情報収集のために。材質の柔らかい木で掲示板を作っておく。小さなメモに伝言を書いて、そこへ連絡を受けた係員が何枚も貼り付けていくのだ。場所によっては貼る側受ける側それぞれにいくらか銭を求めることもあるが、大抵は無料。
　しかし相手に確実に届くとは限らない。薬協支部同士の繋がりはほとんどない。だからたまたま寄った薬協の支部に自分への伝言があればいいが、ない場合もある。…むしろその方が多いだろう。その地方にすらいない場合だってある。どこに行っているのか分からない方がはるかに多い。
　だから和尚も『ま、届きゃいい方なンじゃねぇか？』とか思っていたに違いない。結構アバウトではある。
　もし確実に伝えたいなら誰か信頼できる人を寄越すか、遠くの知り合いにでも連絡を取った方が確実だ。和尚なら同門の人間に頼めばそれくらいはどうにかなるだろう。ドルトンにしても、何か話があるならそっちを頼った方がまだ早かったのかも知れない。
　ドリスが掲示板を見た時もボロボロに擦り切れた別のメモの上に、無造作にピンで刺してとめてあった。下になっている古い伝言は届くことのない伝言なのだろうか…。
　が…それを笑って見過ごす気にはなれなかった。見覚えのない宛名も多かったが、その中には少なからず宛名すらないものもあったから。宛てのない伝言を残す旅人…ルートセラーもいる、ということだ。もしかしたら伝言を残すことによってしか、自分がそこにいたことを記せなかったのかも知れない。彼女もいつ、同じような伝言を残す心境になるか…分からない。
　とてもそんな伝言の内容まで見てみる気にはならなかった。和尚からの伝言をはぎ取ると、薬協の係員に伝言を受けたことを伝えて…すぐに出てきてしまった。本当は、ちょっと腹に入れてから出るつもりだったのだが。
　呑みこまれてしまいそうな気がしたからだった。何か、うねうねと暗くうごめく何かに。

「ちょっとお聞きしたいことがありましてね」
　明るく言うドルトン。
「…はあ」
　拍子抜けした顔のドリス。和尚が戻ってこい、などと伝言してくることはまずない。今までだってなかった。だからどこか期待していたのだったが…。
　…まあ、そんなもんかね。あの和尚なら。

　