「いらっしゃい、いらっしゃい！　安いよ安いよ！」
　あの場で和尚に別れを告げて寺院の山門から村の中へと歩き出す。
　もうすでに香具師やテキ屋、といった連中が商売を始めている。祭の本番は夜中なのだが、他国からやってくるお客も多いのでこうやって始めてしまうのだ。実際、どう見てもこの地方の人ではないらしい人たちが興味深そうに屋台をのぞきこんでいたりする。リンヌプ村ではこの時期なら当たり前の光景。台風のようなこの時期が過ぎればまた、静かすぎる山奥の村に戻ってしまう。
　人でごった返す村。人気のない閑静な村。そのどっちも知っている。ドリスは。
　でも…祭を見るのはいつも寺院の中からだった。『ご神体』という宗派とは関係ないものを祭っていても、和尚と同門の僧侶や雲水も多数訪れる。全員が事情を知っているわけではない。だから、いつも、寺院の台所の奥にぽつん、と座っていた。
　一つだけ小さな窓があってそこからちらっとだけ祭の様子が見える。あの頃のドリスにとって祭とは絵のようなものだった。窓枠を通して見る別世界。見ることはできても触ることはできない。
　祭の中に初めて入ることができたのは…ルートセラーになってからのことだった。

「さあさ、これを見てくれ、そこんじょそこらで手に入る品じゃないよ、これは…」
　香具師の口上も小気味いい。
　小さな笑みを漏らしたまま、背負子を担ぎなおす。観光客も含めて人通りが多いので、そういう大荷物はそろそろ邪魔になってきている。これは早めに山を下りた方がいいのだろうかも知れない。ファイーナもどこかにいるはずだが、この騒ぎでは呼んでも下りてきそうもない。村を出てから呼んだ方がよさそうだ。
「…ドリスちゃん？」

　…え。
　知り合いなんかいるはずが…と思って振り向いてみると…おばあさんになりかけのおばさん、といった感じの女性が立っている。
「ええと…」
　…どこかで…見たような…。
　その女性はつと、近寄ってくるとドリスの手をしっかりと握り締める。
「ほんに、久しぶりやねえ…帰ってきてたが？　何年ぶりになるろうねえ…」
　ドリスの手を握ったまま、小躍りするように軽く跳ねている。
「…あの」
「え？　忘れてもうたが？　ほら、寺院の台所でよくお菓子をあげてた…」
　…あ！　寺院に出入りしていた下働きのおばちゃんだ…。
　女人禁制でもこういう女性は何人か働いていた。もちろん本堂に行けない、などいくつか制限はある。
　この人は台所で僧侶たちの食事を作っていた女性。ドリスが寺院で隠れるように住んでいる時も会っていたはずだ。あの頃も見ていたはずの丸い笑顔に少ししわを加えて、記憶の中でぼやけていた輪郭をはっきりとさせてみれば…目の前で年相応にしてははしゃぎすぎな、この顔になる。どこかかすかに違和感のあった声もじょじょに納得できるものになってくる。
「あ、ごめんなさい。そっか…そうだったっけ…」

　大荷物を担いだ、背の高い女性と小柄なおばちゃんが手を取り合っている？ようなこの光景はどんな風に見えているのだろう。帰省してきた娘を迎える母親…にしてはこんな場所で出迎えるのはどこか変だし。家族を迎えているようには見えないだろう。やっぱり偶然知り合いと会っただけ、と見られているのだろうか。
　数人がにやにやしながら顔をのぞきこんで行ったりするが、その中にドリスの知った顔はない。

「ドリスちゃん、ルートセラーの仕事はどうなが？　楽しい？」
「ええ、まあ…」
「そうそう！　最近の寺院はどう？　和尚様にはお会いしたがやろ？」
　…話好きだったっけ…このおばちゃん。
　あの頃だって、ドリスのような小さな子にも話し掛けてたくらいだから相当なものだ。お菓子をもらっていたのも思い出したが、ほとんど餌付けに近かったような、そんな思い出も甦ってくる。

　曖昧に言葉を合わせて、握られた手を抜けた力で握り返しておく。
「ね、ね。ほんとに久しぶりなが…ね、泊まってったらえいに。あ、そりゃいい考えやわ。ね？　そうしいや？　ね？　ね？」
　…ええと。

『汝と我、我と汝。違いを持ちて道を求めん』…単道経にはそんな一節がある。ふと心に浮かんできたドリス。
　空の上は寒いようだが、地上は人と人とが交差しあって熱を帯びているようだ。

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Materials: WindSeeds, 彩波の耽美派素材集, 信天庵