TheRootSeller 外伝 2 「我が思い、翼となりて」　[3-5]

「そこ、気をつけて…床板が腐っているから」
　錆びたドアを開けてすぐの所に小さなろうそくがあった。それに火をともして二人、かすかにきしむ階段をそっとのぼる。
　…？？？
　二階へと足音を忍ばせてのぼっていく。いくつか部屋が並んでいるようだが、どれからも人の気配は感じられない。ろうそくの狭い範囲で照らし出されているのは、薄墨を垂れ流したような古い木の廊下。…突き当りにドアがある。どこか、にじんだ書割りのようにぼやけて見える。しかし…そこだけは誰かが住んでいるようだ。わずかな物音が聞こえたような気がする。
　そのドアに近づくハウファ。そっと中をうかがうように顔を寄せて…
「ジャン、起きてる？」
　カチリ、と耳に残る音を立てて、ドアを開ける。奥にこもっている闇を追い払うようにろうそくの光を差し伸べながらそろそろと中に入っていく。肩越しにのぞきこんで見ると…ほの白くて平べったい何かがある。床から浮かんでいるようにも見える。ベッド…なのだろうか。かすかな息遣いがそこから聞こえてきているから、ほぼ間違いないだろう。
　その他にはもやもやした黒いわだかまりが二つほど。片方はテーブルのようだ。そうすると、もう一つは椅子だろう。いずれもぼんやりと闇に溶け込んでしまっている。
「…姉さま？」
「そう。起きているのね？　よかった。…今、ランプをつけますからね…」
　かちゃかちゃと金属のこすれ合う音が響いて…ぼぼっと息をつきながらランプに火が入った。

　…ふうん？
　獣脂を使っているらしいランプはもちろんそれほど明るくはない。しかしそれでも部屋の中に何があるのか、ある程度はっきりと見ることができるようになった。白く浮かび上がって見えたのはやはりベッドの白いシーツ。もやもやしていた場所に鎮座しているのはテーブルと椅子。しかしそれらはほこりや汚れがひどく、とても今使っている代物とは思えない。それこそ誰かが捨てたのを拾ってきたようにも見える。事実、どう見ても椅子の方がテーブルよりもわずかに高い。
　ハウファはふっとろうそくを吹き消す。ランプを手にジャンと呼ばれた病人が寝ているらしいベッドに近よると、ベッドのふちにそっと腰をおろす。
「どう？　具合は？」
「うん。まあまあだよ…姉さま、あの人は？」
　まだ戸口に突っ立ったままのドリスに気付いたようだ。

「この人はね、姉さまのお友達なの。病気を治してくださるのよ」
　と、まるでどこかの教会にでもありそうな慈母の像のごとき微笑を浮かべて振り返る。
　…うわあ。
　まさかコレと同じ人物がこめかみに青筋立てて白昼堂々街角でワケ分からん演説ぶちかましたりしてるとは誰が想像できるだろうか。
「…そうなんだ」
「どうしたの？　嬉しくないの？」
　ごろりと寝返りをうつように顔を向こうに向けてしまう。ハウファがそっと身を屈めて顔をのぞきこんでいる。どうにも身の置きどころのないドリスは海じゃがいもの入った桶をそっと床に置くと、静かに近づいてみる。
　ランプはベッドそばのサイドテーブルに置かれてある。よく見てみると結構きちんとしたベッドだ。実用一点ばりで可愛げも何もあったものではないが、脚や板は意外とがっしりとしていて重厚感すら漂っている。ふとんやシーツの類も素材は上等ではないがキレイなものだし。てっきり部屋の内装と同じでそれほど清潔ではないだろう…と思っていたのだが。
「…だって」
「だって、どうしたの？」
「病気が治ると…姉さま、もう来てくれないんでしょ？　僕のところ」
　すねたような口調。それでも消え入りそうな声、なの、だが…。
「…そんなことない、そんなことないのよ、ジャン。姉さまはいつでもあなたの味方なんだから…」
　ハウファはハウファで口元を軽く押さえていたが、そっと腕をまわして抱き締めるような形になる。かすかに肩が震えているのは涙をこらえてでもいるのだろうか…。しかし。

　…おいおい。
　むちゃくちゃうそっぽい。
　ドリスの目はむしろ冷ややかだ。ベッドの上の少年もハウファの背中越しにちら、とドリスを見て…そっと視線をはずした。どう見ても恥らう目ではなかった。むしろ不敵な笑みすらその唇の端には見てとれた。
　年齢の割にはさめてて割り切った目。どこかで似たような目に会ったことがある…と思うドリス。

　そんなに前ではない。すぐに思い当たった。
　…あの時のスリと同じ…か。

　