TheRootSeller 外伝 2 「我が思い、翼となりて」　[3-10]

「…いいの？」
　なぜかそんな言葉しか出てこない。
「ああ。いいんだ、別に」
　しかしすねているようにも聞こえない。もちろん観念しきったようにも聞こえない。どこか大人びたような声。
「でも…」
　言いかけた時、ハウファが息を切らせながら戻ってきた。

　彼女が持ってきた資器材はそれほどいいものではなかった。唯一、包帯にできそうな布が清潔だったことくらいで。
　すり鉢にいたっては周囲の半分くらいまでが見事に欠けているし、すりこ木は年季が入りすぎて亀裂まで入っている。これでは薬になりそうなものも薬にはならなくなりそうだ。第一、まともにすれるとは思えない。あちこちへと飛び散ること間違いない。
　そして重そうにひきずってきたのはマキのひと束。さらに小脇に抱えてきてたのは錆の浮いた小さなヤカン。今まで闇にまぎれてはいたが、この部屋の隅にも暖炉があるようだ。もちろん暖房の意味もあるのだが、空気を熱することによってこもりがちになる湿気をとばす、という役割もある。こういう地方ではごく当たり前の設備ではある。
　しかし、ランプを近づけてみても使っている形跡はない。
　使っていた跡はあるのだ。炭と化したマキが数本転がっているし、上から自在カギも吊るされている。これにヤカンや鍋を吊るせば立派に煮炊きができる。が、軽く引っ張ってみると…どこか感触が怪しい。根元からぽっきりいっているわけではないようなので、使おうと思えば使えるだろう。それでも小さなヤカンほどでないと、どうにも不安だ。
　煙突が詰まったりしていませんよーに…と願いながらそこらの壁紙と、持っていた紙切れ数枚に火をともして…マキに火を移らせる。

　まっさきに黒煙が噴き出してきた。
　げほげほ咳き込みながら…なんとか煙を追い出す。火事と間違えられるんじゃないだろうか、というほどの煙だったがそれっぽい騒ぎは部屋の外からも起きてはいない。とりあえずは大丈夫のようだ。やがて、ゆっくり、じっくり、ちろちろと小さな橙色の火の舌がマキを這いずるように舐め始める。黒煙もすぐに薄くなって、消えていった。やはりどこかにすきまがあるらしい、この部屋。
「これで、よし、と」
　こういう作業は全部ドリスがやった。ハウファに任せるとできるものもできなくなってしまいそうだったから。

　半身を起こしたままのジャンを支えるように寄り添いながら何か話していたハウファ。静かに顔を上げて軽く額を拭うドリスを見る。
「とりあえずだけど、これだけでもやっておいて」
　さっきまでこねていた泥の塊だ。これをさらにノシて、引き伸ばすような形にしておいて布で包んで額にのせる。解熱効果がある、かも知れない、のだが…たぶん気休め程度だろう。この場にいる三人のうち二人はそう思っている。
　そう思っていない一人が涙でも流しそうな表情になってそれを受け取る。さっきまで漂っていた黒煙のせいだけではない。
「うん…うん。ありがとう」
　…ンな言葉、こいつの口からだけは聞きたくなかったがやけんどねえ…。
　そうは思っても口には出さない。

「それから…これはあげる。食べさせてあげて。栄養になるし」
　桶ごと海じゃがいもを差し出す。まだまだ大丈夫だろう。そもそも長持ちする食品ではあるし。
「…いいの？」
　遠慮なく受け取りながらどこか不思議そうな顔のハウファ。
「うん。こういういいもん食って寝てりゃ元気になるわよ。疲れから来る不調…とかそんなもんでしょ。医者に見せるまでもなさそうだし」
　ちらっとジャンを見下ろしてみると…起こしていた半身をずるずると体を毛布に滑り込ませてしまう。落ち着いた先では顔を半分隠してしまう。それでもきらりとした青い瞳はハウファを…いや、片隅にでもドリスを捉えているのは分かる。
　かすかに…その半分だけ隠している顔に笑みが浮かんでいるような…そんな気がした。

　どっちの笑みだろう。さっき言っていた通りに姿を消してしまうのか、それともやはりこのまま居つくのか。
　そこまでは付き合いきれない、が正直なところだ。…この先はハウファだけでもどうにかできるだろう。とりあえずこっちの思いは伝わったはず。ハウファにもジャンにも。そして、二人の思いはドリスもよく分かる。
「そんじゃま、そーいうことでね。…じゃあ」
　と、くるりと背を向けて右手だけ挙げて…
「待、待って」
　その背中にハウファの声が追いすがる。
「あのね…ジャンのことで礼は言うけどね、その…私はルートセイバーであなたはルートセラーなんだから…」
　挙げたままの右手をひらひら、と振ってみせる。決して振り向いてはいけない。
「ポルドバ出るまでは見逃してね。それでチャラだから。…んじゃ」

　しばらくしてから…路地裏の暗い道のどこかでカラスの嬉しそうな鳴き声が聞こえた…ような気がした。