TheRootSeller 外伝 3 「ボクの薬協支部設立奮闘記」　[1-5]

「その中にはこんなものもあってな」
　ハインツ兄が示してきたのは…その中の一冊。宿帳なんだろうけど…またずいぶんと古いものだ。かつては白かっただろうページは外側から茶色くなってきてるし、めくるたびにホコリっぽい匂いが居間中に広がっていく…ちょっときついなあ、これは。なんだか鼻がムズムズしてくる。
　いつの頃のか、と言うと…祖父が若かった頃のものらしい。表紙に名前が書いてある。その頃なら、まだゲマ街道は賑わっていたんじゃないだろうか。宿屋も繁盛してたのかなあ…今と違って。ハインツ兄がぺらぺらとめくっていくページにはたくさんの名前が書き込まれてある。その中のある一ヶ所。そこでその手が止まった。ボクは身を乗り出してのぞきこんでみる。
　宿泊者の一覧。その下の職業欄。
「薬協…本部…職員？」
「そうだ」
「これがどうかしたの？」
　薬協の職員だって旅行くらいするだろうし、当時ゲマ街道が賑わっていたのならゲルンタージュに立ち寄っても不思議はない。
「おいおい…気づいてないのか？」
「何がさ」
「今日の昼にハインツと買出しに行ってな、ばったりとメリッサに会ったんだ。その時にあいつも言っていたのだが…」
　そこで一回言葉を切る。父さんと視線を交わす。その父さんはお気に入りのパイプを引き寄ると刻みタバコを詰めて火をつける。どこか甘い煙を吐きながら…
「薬協の本部というのは一体どこにあるんだ？」

　あ。

「お前がやろうとしていることだからな、色々と調べてみたんだ。うちが昔の宿帳を焼かずに大切にとってあることは知っているだろ？」
　石造りの頑丈な物置があって、そこへ順次宿帳を収めていくことになって、るんだけど…。
「薬協の支部を立ち上げるのなら本部にそういう願いを出せばいい、それでいいんだろう、とたかをくくっていたんだが…話を聞いていくとどうも違うようなんだな。で、どこかで見たと思ったから引っ張り出してみたんだ。職業欄にあるということは薬協の本部というのは実在しているんだろう。出てくるのはここだけじゃないからな」
　ほう、と吐かれた煙がゆらゆらと天井に昇っていく。
「しかしその本部の場所は分からない。それっぽいことが載っていそうな古い冊子なんかも一緒に保存してあるからな、少し見てみたがそれでも分からない。…本部がどこにあるか分からなかったら申請もできんだろう？」
　…たしかに。
「メリッサも知らんらしいしな。そうなるとフレデリクさんだったか？　ハイドシュタインの支部に聞けば分かるかも知れんが…どうなんだ？」
「いや…聞いてないから…そういうことは…」
「まあ、そうだろうな。今度行った時によく聞いておいた方がいいだろう。それから、これをお前に預ける」
「カギ…？」
　例の宿帳を収めてある物置のカギだ。細かい紋様が刻まれている太い銅のカギなんだけど、相当な年代物で細かい細工もよく分からなくなってきてる。ボクらが小さい頃から見ているこのカギは、触るととても叱られたものだった。だから今まであんまり触る機会もなくて、いや、それどころか積極的に触りたいと思う代物でもなかったんだけど。
「あそこの資料は自由に使うといい。ただし、失くしたりするなよ」
　その言葉を聞くと、ずん、とカギが重くなったような気がして、いきなり実感が湧いてきてしまった。…本当に薬協の支部なんか立ち上がるんだろうか…？

　と、いうところで冒頭に戻る。
　姉さんやエマと一緒に物置に入って…物置と言っても何人かが悠然と生活できるんじゃないのか、てなほど大きい…そこから目ぼしい宿帳やパンフレットなんかの小冊子を探してはムカスのキャロルの荷車に乗せて店に戻る。そこで全部に目を通してみて収穫がなければまた戻しに行って、見ていない新しいのを運んでくる。
　…一体何回往復したんだろう…。
　姉さんにこのことを話した時、嫌がるんじゃないのかなあ…と思ったけど、意外とすんなりと「それなら私の店を使うといいわ。あなたの部屋じゃ狭いでしょうし」と言ってくれた。たしかにその方が助かる。何冊どころか３ケタとか４ケタくらい楽に超えてしまうほど大量で膨大なな宿帳やら雑誌やら全部に目を通す…なんて一人じゃ絶対無理だ。
「…ないものねえ…」
　姉さんのため息混じりのやや落ち込んだ声が何度聞こえただろうか。最初の頃はボクも初めて見る宿帳や資料が面白くてついつい見入ってしまって姉さんに皮肉言われたりしてたんだけど、さすがに…この量は。宿帳なんかは結局は名前と職業・住所が書いてあるだけのものだし、小冊子と言っても知らないものや聞いたこともないものばかりだし。ここまで好奇心が磨り減ってきてしまうとどうでも良くなってくると言うか何と言うか。
「…姉さん」
「何？」
「ボク、ハイドシュタインに行って来ようかな…フレデリクさんなら何か知ってるかもしれないんだ」
　それを聞くと、姉さんは、ばたん、と大きな音を立ててそれまで見ていた分厚い冊子を勢いよく閉じた。