「うん。それなら私も一緒に行こうかしら。マニスの樹液のこととか、フレデリクと相談したいこともいくつかあるし」
　何度もうんうんとうなずいている。もしもし？　なんだかやけに嬉しそうなんだけど…やっぱり姉さんもこういう作業、イヤになってきてたのかなあ…。
「じゃあ出発は明日の朝一番ということでいいのね？　向こうに着いたらちょっとゆっくりしてみようか？　馴染みの薬草問屋とかもあるからね。いい機会だし、あなたの顔も覚えてもらった方がいいわね」
　目がキラキラしてるんですけど。…やっぱり飽きてきてたのかなあ…ボクもそうだからあんまり言えないけれど。…何度かあいまいにうなずいて見せると、姉さんはさらににこやかな顔になった。まあ、姉さんとハイドシュタインに行く、というのも悪い話ではない。
　と、エマが顔を上げる。この子だけは不平っぽい様子を見せることもなく、じっと資料を眺めていたんだけど。
　エマは傍らにあった自分がいつも背負っている小さな黒いカバンをごそごそと探って…何やら紙切れを取り出して姉さんの目の前に突き出す。
「……」
　むむむ、と何か考え込んだ表情。人差し指を額に突いて、紙切れを覗き込んで。明るいんだか暗いんだか。
「そっかあ…これがあったのね…ヨナタンとこかあ…」
　椅子を蹴るくらいの勢いで立ち上がって、顔をこするようにてのひらを何回も何回も上下させてる。気合でも入れてるんだろうか…何やってるんだ、このヒト…。
「仕方ないわね。ハイドシュタインにはあなた一人で行って頂戴な。私はトゥペの木の皮をヨナタンのところに届けないといけないの…それも明日中にね。よりによって在庫があるんだから、まあ、仕方ないわね」
「ヨナタンさんって、アシュフォド通りのお医者さん？」
　つい最近代替わりした若いお医者さんだ。先代はもうおじいさんで、この間亡くなった。盛大な葬式が行われたんだ…ボクはそのおじいさんの時にかかったことがあった…んだっけか。その辺はよく覚えてない。だけど、ヘルガ義姉さんやエトヴァルトはなんだかんだでちょくちょく診てもらってるらしい。腕がいいって評判なんだそうだ。
「そう。…届けた、ってだけじゃダメでね。次の納品のこともあるから相談しないといけないのよ。色々と。そう…色々と、ね」
　…今度は指をぼきぼき鳴らし始めた。さっきまでのキラキラした目、じゃなくて…ギラギラ、と言った方がいいのかな…なんだかなあ…殺気立ってるし。大抵姉さんがこういう目をした時ってのはろくでもないことが起きるもんなんだけどなあ…。
「ふふふふふ。見てなさいよ、ヨナタン…ふふふふふふ」
　だからコワイって…姉さん…。

　翌日。なんだかどんよりした空の下、ハイドシュタインに向かうことになった。
　あれから晩にも考えたんだけど…フレデリクさんが管理人になることができた、ということは何らかの方法でハイドシュタイン薬協支部は薬協本部と連絡が取れる、ということなんじゃないのかな、と。だって『本部』という名前がつくぐらいだから支部のことは知ってないといけないでしょ？　それに一つの町に薬協支部は一つ、って決まってるって話なんだし。ということは間違って二つ目が出来そうになったりしたら、本部の人が来て通達とかしないといけないんだろうし。
　だから報告とか申請とか、そういうのを支部から本部へ伝える方法があるはずなんじゃないのかなあ…と。しかもそれはあまり他では知られていない方法なんじゃないのかな。そうでないと姉さんとかルートセラーなら知っていそうなもんだしね。

　ハイドシュタインに行くにはゲマ街道を道なりに行けばいい。ゲルンタージュの町中は他では見られないヘンな彫刻や古ぼけた道しるべがあって、よそから来た人にとっては珍しい限りだと思う。だけど、ボクらにしてみればそれは生まれた時からあるごくごく自然な風景の一部。今さらどう、とは思わない。
　ゲマ街道はゲルンタージュの真ん中を通っている。『ここから町外れ』と刻まれた古ぼけて苔むした道しるべを過ぎればそこからは歩くだけ。そろそろこうやって歩くことにも慣れないといけないよなあ。これから何度もここを歩かにといけなくなるだろうし…もしかしたらもっと遠くまで行かないといけなくなるかも知れない。そうなったら足が痛いとか言ってられないだろうしなあ…。
　…あれ。町外れの道しるべのところに誰かいる…二人…かな？　こんな早い時間だから誰もいないだろうと思ってたんだけど。
「……」
　一人は…エマだ。いつもの黒い小さなカバンを背負って道しるべに腰掛けて、足をぷらぷらと揺らしている。ボクを見て、ぴょん、と跳び下りる。…何か、姉さんから伝言でもあったのかな。
　そしてもう一人は…ジョンだ。同級生のうちで、ボクと同じようにゲルンタージュに残ったもう一人。ロバート・ギルマンさんの息子だ。

「やあ。なんだか久しぶりだね」
「…ああ」
　背が高くてひょろっとしている。背の順で並ぶとジョンはいつも一番後ろだったっけ。
「ジョンもどっか出かけるの？」
「うん…」
　そうだ…極端に無口なんだ…彼は。お父さんのロバートさんは、そりゃあもう明るい人でゲルンタージュで知らない人はいないと言われてるくらい。どんなに暗い人が店に来ても、帰る時は明るく笑いながら帰らせてしまう…と噂されてたりするほど。ギルマン商会には『暗い人にも明朗会計』という標語？が店頭に掲げてあって、まさにそれを実践してるような人なんだけど…。
　お母さんのマリーさんもよく笑う朗らかな人で似た者夫婦とよく言われてる。でもジョンは無口に輪をかけてさらに無口だからなあ…親子三人だけの時は一体どんな会話してるんだろう。

「へえ…どこに行くの？」　
「ハイドシュタイン」
「え？　ボクも今から行くところなんだけど…」
「ああ。待ってた」
　…なんで？

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