TheRootSeller 外伝 3 「ボクの薬協支部設立奮闘記」　[3-9]

　え…？　こんな場所に、こんな夜中に？
　なんだか意味もなくびくびくしてしまうんだけど、マリアはあんまり気にも止めない様子で階段をさっさと降りていってしまう。小さく声をかけているらしい。でもかすかに聞こえたのはマリアの声だけだ。
「先客がいるようだね」
　アレンさんまで軽くボクの肩を叩いてからさっさと降りて行ってしまうものだから…ボクもその後に続くしかなかった。

　小さな階段は石でできていて、五段ほどで地面に着いてしまう。そしてたしかに小さな広場になっている。辺りは木々が茂っていて、夜の森が暗い天井のように頭の上の半分ほどに覆いかぶさってきている。ゲマ街道に面した残り半分に薄い月の明かりが柔らかく差し込んでいるだけ。…あ、下草がほとんどないんだ、この広場。森の中なら草のない空間てのはほとんどないから、誰かが刈っている…わけじゃないよなあ。そんなヒマのある人がいるとは思えないし…。
「いつも誰かがいるからね。踏まれていると草というのはなかなか生えないものさ」
　普段どおりのアレンさんの声。ちょっと、びっくりした。
　マリアはすでに泉で水を汲んでいたのだけれど、おそるおそる…と言った風にちらっと振り向いて見せた。たしかに、なんか…声を出しにくい雰囲気なんだよね。ホッヘの泉というのはこの広場の真ん中にあって、人一人くらいなら楽に入れるんじゃないか…ってくらい結構大きな泉。別に大仰な彫刻があったりするわけでもないし、看板があったりするものでもないんだ。普通に地面に透明な水が湧いていて、木々のすきまから漏れる月明かりをてらてらと反射している。へりには石が組んであってそこだけ人の手が加わったことが分かる。
　その石組みの一つにはマリアが乗っていて、いくつもある皮の水筒に水を汲んでいっている。そして…そこからやや離れた石の上に誰かが座っている。一人だけで他にはいない。どうも膝を抱え込むような格好らしいんだけど…顔を伏せているからどんな人か分からない。森の木々が枝を張り出している真下だから月の光も差していなくて、さらに分からない。
　さっきアレンさんが「こんばんは」と声をかけた時にふと、顔を上げて座ったままだったけど会釈はしてくれた。でも暗がりの中だからどんな人かはよく見えなかった。もしかして…具合悪いとかそういうことなのかな？
「さあ、マルティン君。水を汲んでしまおうじゃないか」
　それでもやっぱり普通通りのアレンさんの声。…あんまり気にしないのかなあ、こういう重い空気は。独特の間合い持ってる人だしなあ。

「…マルティン…君？」

　は。
　…なんか…声が聞こえたような気がするんですが…しかもおんなのひとのこえが。

「もしかして…マルティン…マルティン・シュトーレン君…？」

　いやあの。
　マリアの声でもないし…。

「やっぱりマルティン君だ」
　泉のそばから立ち上がってこっちに来たのはさっきまで座っていた…女の人。ようやく月明かりの下に出てきたその人は…
「わたし。ナスターシャよ。…久しぶり。元気してた？　何年ぶりかしら…？」
　ボクの手をぐっと握ってきて、軽く上下に振る。…なんか顔は見覚えあるんだよな…ええと…どこかで会ってるのは間違いない。どこかおっとりとしたこの話し方にも聞き覚えがあるんだけどなー…？
「マルティン君。こちらは？」
　やはり普通通りのアレンさん。…ええと。
「あ。ごめんなさい。わたし、ナスターシャ・オークネフと言います」

　…あー…そっか…思い出した。ああ、そうだ、ナスターシャだ。
「あー…ナスターシャ、ナスターシャって…オークネフさんとこの。あー…干し草まみれのナスターシャ…」
「やだ…なんでそんなことまで覚えてるの？　やだなあ…マルティン君だっていきなり倒れたことあるじゃない、幼年学校の時に。あの時誰が先生呼びに行ったと思ってるの？　もう？」
「…そんなことあったっけ」
「あったの。石切り場で。覚えてない…？　わたしに花を摘んであげるって言って…」
　うあああああああ、それは…
「恥ずかしいからやめてくれ」
「そう？　わたしは…」
「頼むから。その話はやめてくれ」
　ものすごく恥ずかしい。いや、今の今まで記憶の奥底に封印しておいたはずのなのに…やばい、思い出してしまった…。