TheRootSeller 外伝 3 「ボクの薬協支部設立奮闘記」　[3-31]

　…マリアの言うことだって分からないわけじゃないんだ。

　ふと、気づくと辺りは夕方に近い。
　そんなことにも気づかなくなってた。辺りの景色が違う。汚れた白い壁だったのが今は透明な橙色。…優しい色だったんだな、本当は、この色。そんなことも分かってなかったのかな。

　…でも、でも、ボクだって。

　手の震えがまだ残っているような気がする。じっと手のひらを見てみるとそうでもない。でも、手首の辺りがどうにも揺れているような気がする。
　あいつとは今までもケンカしてきたけど、あそこまできつい言い合いをしたことは、ない。短い付き合いだけど。

　…ボクだって…。

　………

「あら？　……君？」
　…いつの間にか座っていた。いや…ここは昼に来た小さな広場だ。ベンチがいくつかあって…。
「どうしたの？　こんなところで？」
　もう夕方を過ぎてる…？　さっきまであった優しい橙色はもうない。代わりに灰色と黒を混ぜたような不思議な色が辺りに満ちてきている。…少し、寒くなってきたかな…。そうか、夜になってきてるんだ。また寝ちゃったのかな、ボク。…まだほんの少しだけ太陽が出ているみたいだけど、それももうすぐ消え…。
「大丈夫？」
「あ、はい…」
　どこかで聞いた声に顔を上げてみる。
「…ナスターシャ？」

　松葉杖をついて、少し驚いた顔でこっちを見ている。…え、でも…。
「なんで…こんなとこに？」
「お仕事よ。昨日、お医者さんに診てもらった時に無理しなければ問題ないでしょうって言われてたの。一日経ったら大分痛みも引いてきたし。まあ、こんな足だからあんまりあちこちには行けないけどね。それでも用があったら出ないといけないから…マルティン君はどうしたの？　こんなところで？」
　両腕を横にしてそこへ顔を置いて、松葉杖に体重を預けるような格好で、にっこり微笑んで見せる。
「どうって…まあ」
「…ケンカでもしたの？　マリアさんと？」
「…なんで分かるのさ…」
「図星？　仕方ないなあ…ホントに」
　ふう、と息を吐いてやれやれ、というように首を振ってみせる。
「うちの店の事務所が近くにあるの。もう帰ったらそれでおしまいだから…一緒に戻らない？　ちょっとお茶でもしましょ」

　本当はここから動きたくない気分だったんだけど。でも、ナスターシャがあんまりに勧めるものだから、一緒に行ってみることにしたんだ。

「あ、お帰りなさーい。大丈夫でした？」
　本当に小さな事務所なんだ、ナスターシャの勤めてるところって。女の事務員さんが二人いて明るい声で迎えてくれるんだけど、五人…いや、三人分の机でもういっぱいいっぱいなほどの小さなスペース。それでも表の通りに面した窓があって、そこには応接用らしいソファもあったりする。ぐるりと本棚も備え付けられてあって分厚い本や書類をとじたファイルなんかがきちっと並んでいる。…企画を提案するって言ってたけど…具体的には何をする事務所なんだろ。
「うん。問題なしよ。…みんなもう上がりでしょ？　わたしも上がるね」
　事務員さんの一人が、ぱたぱたっと近寄ってきて…松葉杖を受け取って肩を貸している。でも、体を一度ひねらないと机から出られないってのも…椅子とか大丈夫なんだろうか。圧迫感とかないんだろうか。
「だから私が行きますって言いましたのに…無茶ばかりするんですから、所長は」
「ふふ。当然やらないといけないことなんだから、こういうのは無茶って言わないの」
「まったく。ホント、ガンコなんですよねえ。…えっと…こちらは？」
　あ。ボクのことだ。
「わたしのお友達なの。そこでばったり会ったのよ」