TheRootSeller 外伝 3 「ボクの薬協支部設立奮闘記」　[3-35]

　夜も遅くなってきちゃったし、ボクは…なんだかまだ戻りたくない気持ちではある。…まだマリアと顔を合わせづらいんだ。
　ナスターシャはここの二階が自宅になってるんだそうだ。でも今は足が足だから大丈夫なのかな、と心配にはなったんだけど
「心配しないで。こういうの、結構平気なんだから」
　と、松葉杖を小脇に抱えてさっさと上がって行ってしまった。
「そこの長椅子で良かったら、使って？　毛布はそこの棚にあるわ。明日のことは明日考えましょ？　おやすみなさい」
　って、にこやかに笑いながら。
「…おやすみ」

　言われた通り棚から毛布を取り出して、灯りの落ちた事務所で一人、寝る。
　でもやっぱりカラドリアなもんなんで…窓の外が完全に静かになったわけじゃない。長椅子に横になった状態だと、窓を下から見上げるような形になるんだけど色々な光や音が動いているのが分かる。何て言うんだろ、人が活動してる証拠って言うか…ゲルンタージュだったらこんな夜中になってしまえば誰も出歩かないから、音がするとすれば…夜虫の明るくて涼やかな声とか。それともマニスの樹を揺らす風のささやきとか。そんなものしかないんだけどな…。

　…やっぱり寝付けない。

　寝る場所が変わったから、とかそういうのもあると思うんだけど、それだけじゃない。
　まずは…と窓を見上げながら指を一つ折ってみる。…でも、そこで…いや、考えるべきは二つしかないことに気づいて指を折るのをやめた。だって…ねえ。宝石の件ともう一つしかないんだ、ボクにとって重要なことって。
　…マリアは…どうしてるのかな、今。
　あいつのことだから今はきちんと寝てるのかな。宿屋の部屋はアレンさんと三人で借りたものだったから二つしかないベッドの数はぴったり、ってことになる。どうやってベッドで寝るヒト決めようか、なんて話もしてたんだけどこれなら別に問題なく決められるよな…。　
　マリアがボクのこと考えてくれるのはよく分かってる。分かってるつもりなんだけど…本当のところはどうなんだろ、と疑問に思う気持ちが全然ないのか、と言えばそれはそれでウソになる。だって、会ってからでもそんなに日が経ってるわけでもない。そりゃ…色んなこと経験はしてきたけどこれまで育ってきた環境だって全然違うんだ。ボクはゲルンタージュから出たこともないのに、あいつはカラドリアからハイドシュタイン、ゲルンタージュまで何度も往復してる。中等学校だってそうだ。ボクは普通に過ごしていたから特に何かあったわけでもない。でも、あいつは家のこととかあったし、ジャスミンさんにくっついてルートセラーのこととか学んでた。それが今にも生きているんだし。
　…謝っておこうかな…やっぱり。あ、花、買っておこうかな。ナスターシャも言ってたし。どんなのがいいんだろ…。

　ごろり、と寝返り。窓から差し込む月の明りと町の灯りが狭い事務所の床や机に奇妙な模様を作っている。

　いや…むしろ…もう、全部止めちゃおうか。

　ふと、そんな考えが浮かんできて…ボク自身もびっくりした。でも…そういう選択肢だってあるにはあるんだよね…。
　このままみんなとここで別れてボクは一人ゲルンタージュに戻る。ハインツ兄やヨハン兄…タミィ義姉には何か言われるかも知れないけど…あの穏やかなゲルンタージュで一生を過ごすんだ。あそこでなら新しいことを知る必要もないし余計なことを考える必要だってないんだ…。
　でもさ、それでいいのか？　本当に？　せっかくここまでやってきたことが全部無駄になっちまうんだぜ…。

　やっぱり…そんなのはダメだ。なんでだろう…ダメだ。まだ、まだあきらめられない。ここでやめるってわけにはいかない…。

　ふ…と目を開けると…もう朝になってる…？　明るい太陽の光が窓からいっぱいに差し込んできている…？
「おはよう。よく眠れたかね？」
　って、体を起こしてみると…。
「はっは。まだねぼけ眼といったところのようだね。エイミー、濃い目のお茶を淹れてくれたまえ。その方が彼にはちょうどいいようだ」
　えっと…その…。事務員のお姉さんが茶を淹れてくれてるのがぼんやりと分かる。で、そのお姉さんがにこやかにカップを持ってきてくれて…は。
「…ジェレミー…さん？」
「ようやく目が覚めたようだね。しかし君とはよくよく早朝に縁があるようだ…ゲルンタージュの時も朝早かったね」
　カップを受け取ると…なんだか目が覚めてきた。…たしかにジェレミーさんだ。向かい側の長椅子に…あの時と同じようにやっぱりきっちりと足を組んでいる。
「…そうだ、君にも参加してもらうとしようか。我々の結婚の儀にね」