TheRootSeller 外伝 3 「ボクの薬協支部設立奮闘記」　[4-17]

「なるほど。よく分かった…ありがとう、マリア」
　一回だけ小さくうなずいて、また前に向き直るハリーさん。ちら、とボクたちを見て微笑をくれたような気がした。
「君の言う貴族への侮辱とやらもこちらの意思というわけではなさそうだね、ジェレミー・ジェイスン」
「そんな…」
「君はまだまだこれから知っていかねばならん、ということだ。花婿がそうでは婚姻の儀などもまだまだ…ということにもなるかね。元々が儀式的かつ形式的な貴族間での婚姻約束を果たそうとしているに過ぎん。君は知らないのだろうが…五大会議でもこういった昔からの慣習の見直しを進めよう、という意見も多数出されているのだよ。…例えば行事の際のパレードであるとかね。あるいはその行事そのものをも見直す必要があるのでは？　とね。何せ…我々は君が言うようにお金がないのだから」

「こういう質問をすると君はそれこそ侮辱だ、と言って怒るかも知れない。だが、あえてさせてもらおう」
　ごくり、とジェレミーさんがのどを鳴らした、ような気がする。何を聞こうと言うのだろう…？
「婚姻とは元来がそうあるように男女二人の相愛によってもたらされるべきだ。では…君はマリア・ローガンが好きかね？　愛しているのかね？」
「…！」
　ボクの手を握っていたマリアが一瞬、とんでもない力で握りしめてきた。…少し、痛い。
「好きとか嫌いとか…そういう問題ではないでしょう。これはジェイスンとローガン両家にとっての神聖にして侵されざる儀式。これまでに幾度となく五大貴族の間でなされてきたことではありませんか？　高貴な血脈を絶やさぬためにこういった慣習はぜひとも必要でしょう」
　大分落ち着いてきたのかなー、ジェレミーさん…と思ったんだけど言葉の端々に震えがあったりするし、まだ顔も青いし。
「それでは答えにならないな。君のお父上の弟にあたるダニエル・ジェイスンはどうだったかね？　貴族とは関係のないマルチナを妻として迎えている。…たしかにこれが十数年も昔だったら認められなかっただろうね、豪商という地位があるとしても貴族ではない者を妻とするなど。しかし…今はどうだね？　ダニエル・ジェイスンだけではない。我が娘ライザはハイドシュタインの大衆酒場の主に嫁いでうまくやっているよ。我が息子カーティスも貴族に固執してはいない。ハーパーやナロウでもこんな例は、最近ではいくらでもある。…お互いがお互いをどう感じているか、愛しているか、ということだけが問題なのであって家の名前などどうでもよくなっているのだよ」
　ふ…と、マリアが手の力を抜いた。
「そういう時代なのだから、と言ったら月並みかね？　しかし私はこの言葉こそが最も合うと思うのだよ。…我々カラドリア貴族が生き残っていくためには変わらなければならない。そしてそれは時代に合った生き方へ変えていくべきだ、とね」

「だからあえて尋ねようか。君はマリア・ローガンを妻として愛していけるのかね？」
「愛する、などという感情を持ったことはありません。ただただ貴族の未来のために」
「それではこんな婚姻は意味がないね。違うかね？」
「ではレキシントン様はこんな無知で無名のゲルンタージュ人に膝を屈しろ、とおっしゃるのですか？」
　…えーと…？
「はははは。…君も意外と情報に疎いようだね。ここにいるのはあのマルティン・シュトーレン君だ。君の青の旅団と共に、今やゲマ街道上でもちょっとした噂になっているのだよ。あのゲルンタージュに薬協支部が復活するかも知れない、その立役者は宿屋の息子のマルティンだ、とね。ある識者によればそれは数百年ぶりのことだと言う。…ハイドシュタインの酒場などではこの話題で持ちきりだそうだ。久々の面白い話だ、とね」
　…え。
「レキシントン様、本当なんですか？　今の話？」
「ああ。うちのライザがね、知らせてくれた。だからとうに彼のことは知っていたのだよ」
　ボクを見て、親指をびしっと立てて笑ってくれた。…そうか…知ってる人は知ってるんだ、ボクたちのことも…。
「彼は決して無名ではない。顔は知られていないから誰もが振り返るとかそういう存在ではないがね。…名前なら知ってる、そういう人が増えているのもまた事実なのだよ」

「分かりました。ここはレキシントン様の望まれるように婚姻の儀を中止します。…いや、マリア・ローガンとの婚約も破棄します」
　しぶしぶ…なんだろうか。ちょっと分からない微妙な表情。
「…私個人の意思ではない。これも時代の流れだ。ただ…五大貴族でも特に過去への帰属意識が強いローガンがそうたやすく婚約破棄に応じるとは思えない。私からも十分に働きかけをしよう。当主のマーチンも昔とは大分変わってきているのだが…その分なかなかに頑固になってきてるけども、ね」

「その前に一つだけ、確認しておきたいことがあります」
　きっとキツイ目でボクを見る。うーん…。
「この男に今一度問いたいのです。…なぜゲルンタージュに薬協支部を作ろうなどと思ったのか…？　私に分かるように十分に説明したまえ。『ただ好きだから』などと言うようなごまかしはもうたくさんだ」
　…そう言われてもなあ…。
「大変に素晴らしい理由ではないかね？　何が不満なのだねジェレミー・ジェイスン？」
「不満？　不満だらけですよ…この男は明確な理由も理念もなしに薬協支部を作ろうなどと言い出している…明らかに知恵が足りていない証拠なのです！」

　ほんと、めんどくさい人だな。