TheRootSeller 外伝 3 「ボクの薬協支部設立奮闘記」　[4-45]

　うわー…やばい。本気でやばい。これじゃラン君の言うようにこの年じゃあり得ないことだ…。
　一つには初等学校は中等学校や高等学校とは違って、入学から卒業まで担任の先生が変わらないってわけじゃないからかも知れない。初等学校は低年部と高年部の二つに分かれてる。低年部がそのテア先生…のはず。高年部は覚えてる。人が足りなくてゲルトルート校長先生が担任やったんだ。たしか産休の先生が何人か出たりたまたま先生方の用事が増えちゃって、とかで仕方なく、って話だったんだけど。その割にはゲルトルート先生はきびきびと色んなことを積極的に教えてくれた。子供が好きで、本当はいつも担任やりたかったらしいって聞いたのは高等学校入ってからだったかな。
　んだけど…。
　なんでテア先生を思い出せないかな…せのたかい…おしゃべりな…おんなのせんせい？

「思い出せませんか？」
「えーと…その、ええと…」
　なんでだろ、なんか…その辺りだけすっぽりと記憶が抜け落ちているような？　やばい。やばいぞ…本気で。言われてみれば、言われてみればだけど…なんとなーくだけど、うっすらぼんやりと背の高い女の先生が教壇に立っていたのを見上げていた、ような気はしてくる。してはくるんだけど…もやだか霧だか、なんか、そういうのがかかってるみたいではっきりとは思い出せない。
　あー…なんか、もどかしい。歯がゆいってのはこういうことかー…。
「で、エイミーさん。ナスターシャさんの方の話ってのはどうなってるのよ？　オレもその辺気になるな？」
　パンをぱくりとやるラン君。
「マルティン君のとは大分違っているようですし。良かったら続きを聞きたいですね」
　アレンさんも薄切りの肉をパンにはさみ直している。
　で、そのエイミーさんは手にしていたワイングラスをくるり、と軽く回してから…ぐぐっと一気に飲み干してしまう。
「ええ。そのつもりです。では…あたし達が所長から聞いてた話、しましょうか…」

「まず最初ですけど。待ち合わせ場所に来たのは所長の方が先だったそうです。なかなか来ないなあ、何してるんだろ…と心配になった頃にようやくマルティンさんが走ってやって来た、と」
　あ、その辺から違うんだ…。
　ちょっと呆けてしまったボクの顔を、エイミーさんがちょっと笑って見てたりする。
「ええと、所長がなんで遅れたの？　と聞くとすごくいい話を聞いたんだ、早く南の石切り場へ行こう、ってものすごく興奮した様子だったんだそうで。所長は何がなんだかよく分からないまま、腕を引っ張られるままに走って行ったんだそうです…」

　…それからエイミーさんが話してくれたのは…やっぱりボクとナスターシャのことだったんだけど、まるでよそから買ってきた絵本をボクが読んでいるような、そんな変な気にさせてくれるお話だったんだ。その絵本にはあの頃のボクとナスターシャが出てる。でもこの二人はボクらであってボクらじゃない。ちょっとズレがあって、そのせいでボクが出ているお話なのに、全然違うマルティンとナスターシャのお話を聞いているような…そんな不思議な気分になってしまう。
「石切り場に着くとマルティンさんはあちこちの石のすきまをのぞきこみ始めたそうです」
　あ…ナスターシャじゃなくて、そこもボク？
「なんでそんなことするの？　と当然所長は不思議に思って聞いたんだそうです。そしたら…」
　エイミーさんはとってもおかしそうに、くすっと笑ってボクの顔を見る。え？
「ナスターシャにきれいな宝石をあげる、ちょっと待っててね今探すから、って言ったんだそうです」

　宝石？
「お花じゃなかったんです。宝石だったそうです」
　いや、なんで？
「後でテア先生がくわしく調べて、それを所長のお父さんに説明して…その時報告書みたいなのを渡したらしいんです。所長は後で偶然にもそれを読んでしまって…詳細が分かったとか。マルティンさんのお父さんにも同じようなのを渡したはずらしいんですけども。知ってます？」
「いえ…全然」
　父さん、何も…言ってなかったよな、そんなこと。…と言うよりそんな話聞いてたらこんなボクの記憶違いなんか起きないと思うんだけどな…。
「え…まあ、それならそれで、話を続けますけど。…マルティンさんが石切り場に宝石が隠されている、という話をお父さんから聞いたらしいんです、遊びに出る直前に。その話をくわしく聞いてて待ち合わせに遅れてしまう…そして所長を石切り場まで引っ張って行く…」

　ボクの記憶の中ではナスターシャの背中を追いかけていたはず、なん、だけど。…どうもボクがナスターシャの手を引っ張って行ったらしいんだ。…たしかになんだかこれもやっぱりうすぼんやりとしてた思い出なんだけどね。人間の記憶なんか結構いいかげんなもんなんだなあ…。第一、ボクってばそんな話を父さんから聞いてたんだ…。
「そのうちマルティンさんは大きな石の上のほうまで登って行ってしまって。所長は危ないよ、落ちたらどうするの、って必死に叫ぶんだそうですけど『だいじょうぶだいじょうぶ』ってどんどん登って行ってしまう。所長が『テア先生が小さい子供だけでここに入っちゃいけないって言ってたでしょ？』と言ってもきかない…」

　『はいっちゃいけない』『ちいさいこどもだけ』

　その時…何か、何かをずるりと頭の奥底から引きずり出した、たしかにそんな感触を感じてしまったんだ…。