TheRootSeller 外伝 3 「ボクの薬協支部設立奮闘記」　[5-28]

　夜中の宿屋の中庭。そっと井戸から水を汲んで…一口。
　ここはアレンさんやマリアと承諾書の裏の『保留』についても話した場所だし…そのマリアをカラドリアへ一度帰った方がいい、と説得みたいなことまでした場所だったりもする。なんか懐かしいような気がするけど、実は昨日の話だったりするもんなあ…色んなことがありすぎだ。
　月の明りがまるで白いレースのカーテンのように、ふわり、と井戸からボクから何から包み込んでいる。
　…静かだ。
　例えば雪が降るとその雪が音を吸収して辺りは静かになってしまう、なんて話をどこかで聞いたような気がする。いや、ゲルンタージュではまず雪なんか降らないからノルザムランドとか寒い地方の話をどこかで聞いて、それを覚えていると思うのだけれど。なんかそういうのに似ているなー…今のこの景色、とかそんなことを思っちゃって。月の光が音を吸収する、ということじゃないんだろうけど。なんか、そんな気になってしまったのはやっぱり明日が不安だからなのかな…知り合いとは言え伯爵様だもんなあ、会うのは。緊張と言うより何をどうしたらいいのか分からない不安と言った方がいいのか…。

　あ。母屋の方、一つだけ部屋に明りが着いてる。あれは…ヘルガ義姉さんかな。考えてみたら服の仕立て直しって結構手間かかるもんなんじゃ…？　なんかボク、簡単に返事しちゃったけど、大丈夫なのかな…ヘルガ義姉さん。

　井戸のそばにある平べったい大きな石。これは洗濯の時に使うもので、もちろん使うのはヘルガ義姉さんってことになる。
　そうなんだよな。ボクって何もできないんだよな。ルートセラーとしての知識も経験もなけりゃヘルガ義姉さんみたいに家事がこなせるわけでも服の仕立て直しができるわけでもない。ジョンやロバートさんたちみたいに何かを建てたり作ったりもできないし…もちろんヨナタン先生みたいに医者なんかもできない。
　でもなぜなんだろう…皆が協力してくれる。ホント、どうしてなんだろう…アレンさんは『面白いから』と言ってくれたけど、他のみんなもそう思っているからかどうかは分からない。でも、こんなボクに力を貸してくれているんだ。
　ボクはそれに何かで返さないといけないんだ、と思う。そしてそれは一つしかないんだ、と。

　そう。薬協支部を設立するんだ。そしてきちんと運営していく。

　…おや…ヘルガ義姉さんの部屋の明りが消えた…かな？　うん、そろそろボクも休まないといけないな…ようやっと眠くなってきた…。

　………

「うん。それなら問題ないだろうね。なかなか似合っているよ二人とも」
　翌日は天気も良くてこの時期のゲルンタージュにしてはちょっと暑いくらい。でもからっと晴れているからそうは感じない…こういうの天気もちょっと珍しいんだ。結構湿気が多いからね、ここは。
　昼くらいに医院を訪れてみると。ヨナタン先生はきちんと襟の閉まる服を着ていた。シルヴィさんに手伝ってもらったらしいんだけど、その上から黒くて張りのある上着…なんか違うかな、普通に先生が着てる白衣よりも生地が厚くてもっと重厚そうな服、ってのも違うんだけど…これがシルヴィさんの言ってた『ちょっとイイの』なんだろう、と素直に思わせてくれるくらい上等で上質に見える服をはおってる。聞くところによると先生がお医者の技術を学ぶために行ってた学校で作ってもらったものなんだそうで、何か行事なんかがある時はこれで出ていたらしい。
　ボクはヘルガ義姉さんに仕立て直してもらった元・ハインツ兄の服。いわゆる「礼服」というやつで、兄さんは何着か持っているし（宿屋として町の集まりに出るのは父さんよりも、もうハインツ兄の方が多かったりするんだ）これはその中でももう着ない服の一着だからもらっちゃいなさいよ、遠慮なんかいらないわよ、とヘルガ義姉さんがにこやかに着せてくれたものなんだ。
　…なぜかタミィ義姉まで朝っぱらから来ていて（店はどーしたんだ、店は？）髪型がどう、小物がどう、と面白がってあれこれされるのには閉口した。何せ玄関ホールでわいわいやってて、起きたばかりのビーチェがボクを見るなり寝ぼけて『ど、どなたですか』と後ずさったりしたもんなあ…さすがにすぐに気づいてはくれたけど。マリアだったら大笑いされてたかも知れない。
　そのビーチェは昨日言ってた『あれ』を着ている。普段は散歩が趣味って言うくらいだから動きやすい格好をしているんだけど、たしかにこれならこういう場に出ても問題ないだろうなあ、と思わせてくれる黒い服なんだ。布の質もとても良いものだってのはボクにも分かる。ヘルガ義姉さんも、もちろん『問題ないでしょ、これなら』と太鼓判を押してくれた。
　…で…タミィ義姉がこっちでもはしゃいじゃって。どこからともなくアクセサリーみたいなものを取り出してヘルガ義姉さんと一緒になってビーチェのあちこちに取り付けていくんだ。…なもんで最終的にはてっかてかのごってごてになっちゃったりして。

　さすがにそれはダメでしょ、という我に返ったヘルガ義姉さんの一言で今度はそれを外して行って（なんかすごくムダなことしてる気がした…）最後に銀色の花の髪飾りだけ残したんだ。ビーチェもとっても気に入っていて、もちろん今もそれはビーチェの額の右上で輝いている。タミィ義姉の物だったらしいんだけど、ビーチェにあげるって気前良く言っていたっけ。