TheRootSeller 外伝 3 「ボクの薬協支部設立奮闘記」　[5-41]

「ですからそんな大それたことをお受けするわけにはいきませんし…それに」
　ぐっと身を乗り出しているヨナタン先生。目が真剣だ。…姉さんと言い争いをしている時より、真剣だ。
「今まで協力してくれたみんなに、何か、悪いような気がしてしまうのです。王室の後押しがあるとなると」

　いつの間にか…ボクは自分が涙を流しているのに気づいた。

　なんでだろう？　もちろん悲しくなんかない。怖くもない。たしかに今の場の空気は大変に重いものだし、ヨナタン先生もホルトホーフェンさんも難しい顔になっている。その場の音というのはボクの言葉と、そして…何もない。時折誰かが足や腕を動かした時に布がこすれて出る、かすかな羽音のような音だけ。
　…なんでボクは涙を流しているんだろう。
　泣いているんじゃないんだ。涙が勝手に出てきて止まらないって言った方がいい。ここにいる人たちに話をしているはずなのに頭の中にはアレンさんやジョンやラン君、そしてマリアの顔が浮かんでくる。いくつもいくつもの顔が浮かんでくる。そんなみんなの顔は笑ってるものばかりなのに…ボクだけ涙を流している。

　と、ビーチェがいきなりボクの手をとって立ち上がる。引きずられるように腰が浮くボク。え？　え？
「ダメなんですう、ほめられてる時に泣いちゃ、ダメなんですう！」
　そしてボクの手を握ったままぶんぶんと振り回す。…このコも泣いている。それも、ボクよりも激しいのは…なんでだろう？
「今、あなたのことをほめているのだから泣いてはいけません、いい言葉を聞いている時に涙を流すといいことも全部流れ落ちてしまうから…って、ビーチェはあの時言われたです。だからビーチェはほめられてる時には絶対泣かないです涙を流さないです」
　…何の話だろう。
　軽く目をこすった（そんなにたくさんの涙が出てたわけじゃないからね）ボクと、今度はちょっと困惑気味の先生とホルトホーフェンさん。
「だから、だから、マルティン様も今は泣いてはいけないんです、ダメなんですう」
　今度は前以上に盛大に泣き出してしまった。しかもボクの手を握ったまま。…どうしたってんだか…？

　騒ぎ？を聞きつけた奥さんが出てきてまるで子供でもあやすようにビーチェをそっと抱きしめてくれる。
「…お母さん…」
　ビーチェが小さくつぶやいたのはこの言葉。離婚したって言うお母さんのことなんだろうか。

　………

「申し訳ないです何か取り乱してしまったです」
　そんなに時間は経ってないんだ。ビーチェが顔真っ赤にして照れ笑いを浮かべながら席に戻ったのは。先生もホルトホーフェンさんもやっぱり困惑が残ってる顔のまま。と言うより多分ボクもそんな顔になってると思う。…ホルトホーフェンさんはともかく先生はこういう展開になると機嫌が悪くなるのかな、とか思ってたんだけど意外と何も言わずにビーチェが落ち着くのを待っていてくれたんだ。
　ビーチェはひとしきり奥さんの胸の中で泣いた後、ぽん、と奥さんに背中を叩かれて…まるで後押しでもされるみたいに…軽く頭を下げてから席に戻ったんだ。奥さんはそれを見て大きくうなずいてからまた奥へと戻って行ってしまった。難しいお話が終わったら楽しいご飯にしましょ、って笑いながら。
「良かったら話してみてくれないかね」
　先生はそう静かに語りかけてみる…。
「いえ、あの、そんなに大したことじゃないですです、ビーチェが、その…お母さんと別れた時のことですから」
　そうなんだ…やっぱり。でも先生たちはビーチェのことは何も知らないんだよな。
「ちょっと、色々事情があるんです、ビーチェには」
「個人的なことなのかね？」
「はい」
「そうか…」
　何度かうなずいている先生。膝に肘をつけてやや前かがみであごの下に片手を握るように置いている。
「そういうことなら聞かない方がいいかも知れないね。…失礼した、あまり聞かれたくないことだったんだろう？」
「そうでもないですけれども」
　ビーチェはなんだか視線の置き場に困っているみたいにあちこちを見回している。
「なんだか、ちょっと、恥ずかしいだけなんですです…」