TheRootSeller 外伝 3 「ボクの薬協支部設立奮闘記」　[5-51]

　それからもう少ししゃべったのだけど。とりとめもないことを…主にエイミーさん相手かな。レイミーさんも積極的に話に入っては来たのだけれど、ジェレミーさんはあんまり入って来なかった。それでも、なんだろ、独特の穏やかな笑みをしていたんで退屈はしていなかったと思う。

　そのジェレミーさんは工事の状況も直接視察できたし、ゲルンタージュの用事はもう全部済んだからすぐにカラドリアに戻ると言うんだ。時間的に今からだとゲマ街道の途中で夜中になっちゃいますよ、うちに泊まって行ったらどうです？　と止めたんだけど。馬車だし夜通し走れるからそれでいい、となんか強引に押し通されちゃった。
「色々世話になった。礼だけは言わせてもらう。だが戦いはこれからだ」
　って、お礼なんだか宣言なんだかよく分からない言葉と、握手を残して。…手を握られた時、なんか、こう…かなり力がこもっていたような気がしたんだけど、あれは気のせいなのかな。

　サザルム邸跡で馬車を見送って（荷馬車じゃない馬車なんかめったに来ないからちょっとした人だかりになったんだ）ボクは宿屋に戻ることにしたんだ。もちろん…歩いて。その方がボクは好きだしジェレミーさんも乗ってけと勧めてはくれなかったし。

　夕方のゲルンタージュ。もちろんボクには見慣れた風景。
　日が落ちてくると道行く人たちが誰だか分からなくなってくる一瞬、というのがあるんだ。ゲルンタージュはカラドリアほど街灯が整備されてない（昔々はたくさんあったんだろうけど、今は…）せいもあって夕暮れとか暗くなってくると顔もよく見えなくなっちゃう。時には自分がどこを歩いてるんだろう…？　とか思っちゃうこともあるけど、それはすぐに分かるようになってる。
　だって、どこそこにこの牛もどきの彫刻があるから自分はここ、とか…あの二本煙突があるからあの辺りだな、なんてのはゲルンタージュに住んでる人なら当然なんだから。
　…でも自分がどこにいるか分からない、てのも面白いかなー…とも思うんだ。どこを歩いているかすぐに分かるゲルンタージュもいいんだけどどこを歩いてるか全然分からない、例えば夜でも明るいカラドリアもそれなりに面白そうなんじゃないかな、ってね。昼間だと見慣れた道も夜になって街灯に照らされたら全然違って見えるんじゃないだろうか…とかね。

　ボクがよく知っていることになるカティ通りは、そういう意味じゃ面白くない通りになっちゃうのかな。でも夕方から夜になってくるこの瞬間瞬間で通りの「顔」と言うのかな、見方によってどんどん変わって行っちゃう。これは、何だろ、変わらないのに変わっていく面白さ…とかそんな感じなのかな？　カラドリアの街灯の下の「見たことのないものを見る」面白さじゃなくて、こっちだと「少しだけ変わっている」面白さ、とかそんな風に言ってもいいかも知れない。
　ほら、前から歩いてくる小さな人影がある。あっちを見たり、こっちを見たり。…ボクはもう誰か分かっているんだけど、他の誰かが見ても多分誰か分からないだろうと思う。相手を知っているか、知っていないか、というのもあるけど昼間の通りをよく知っているボクにはこういう夕闇の通りで見た目がちょっと変わってしまっても大体、見当はつくんだ。
「あ。マルティン様。そこでしたか」
　ととととっと…と駆け寄ってくるのは、やっぱりビーチェだ。散歩好きだって言ってたからこの辺にまで来たことはあるのかも。
「…暗くなると何がなんだかさっぱりさっぱりです。早く帰るです、今日は鹿肉のシチューだってヘルガ様が言ってたです。あったかくてほっぺが落ちるです…さ、帰るですです」
「そうだね」
　ビーチェに手を引っ張られるように前に進む。まあ、ボクならもっと暗くなっても宿屋にきちんと帰れるんだけど…このコはまだ無理かな、そういうのは。かなり駆け足になってるし。
　帰るべき場所があるってのは、いいもんなんだね。なんか、そういうことを思っちゃった。

「あ。マルティン様」
「なんだい？」
「聖誕祭…って何ですか？」
「お祭りだよ、お祭り。出店とかイベントとか、色々あるんだ」
「ふぇええ…そうなんですか。なんだかハインツ様が大張り切りでしたけど」
「まあ、ゲルンタージュでは年に一度あるかないかの大きなイベントだからね。やらない年もあったりするけど」
「毎年やるわけじゃないですか。でも、今年は何かやるですですか？」
「うちはさ、唯一の宿屋兼酒場だからね。毎回料理とかお菓子とかみんなに振舞うようになってるんだけど…準備が大変でね。そっかあ…もうそんな時期かあ…」
「あと一ヶ月って言ってましたけど」
「…へ？」
　大抵三ヶ月くらい準備期間があるのが普通なんだけど…？　なんで…？
「だから、あと一ヶ月で全部やんなきゃなんないって、ハインツ様もヨハン様も。なんだか忙しそうなのでマルティン様も呼んでこい、とお父様が」

　なんだそりゃ。なんで急に決まるんだ、そんなこと。ええと、あと何日だっけ、マリアとお母さんが来るのって。聖誕祭だろ、ええと、ええと…。
「マルティン様、前…！」
　…あわてるとロクなことがないね。久々に、どっかの門にアタマ、ぶつけちゃった…。